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歌人、御歌所寄人 | |||||||||
経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:元治元年(1864年)、名古屋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:昭和16年(1941年)、享年78歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
菊間平八郎の五男として名古屋に生れる。 号は蕉陰、鏡廼舎。 加藤安彦孫娘の婿となる。 歌人、御歌所寄人であると同時に、近衛師団軍楽隊の楽手で、唱歌「春風」や「婦人従軍歌」の作詞で有名である。 婦人従軍歌は日清戦争時、出征する友人の見送りに新橋駅に出向いて同じく戦地に赴く看護婦たちに胸をうたれてつくった。 大正になって義清は摘草会を結成した。 大正15年(1926年)には、メンバーの曽根田良久子の歌が宮中御歌所で御前披露された。 著書に『火筒のひびき』、『渡るに安き安城の』などがある。 ほかに『かねのなこり(加藤義清追善歌集)』《曽根田良久子編、昭和16年)がある。 従五位・勲五等に叙せられる。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
05130 | 加藤義清 書 | 書「明治天皇御製並昭憲皇太后御歌」 | − | − |
2008年10月9日追加● |