福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
泉原伯太郎
いずみはら・はくたろう
実業家、福山誠之館同窓会幹事長
泉原伯太郎 (出典1)


経 歴
生:明治27年(1894年)ごろ、広島県芦品郡戸手村(現福山市新市町戸手)生まれ
没:(不明)
明治45年(1912年) 18歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
大阪工業高等学校卒業
昭和2年(1927年)5月 33歳 備後染色株式会社入社
昭和11年(1936年) 42歳 備後染色株式会社取締役
昭和21年(1945年) 52歳 備後染色株式会社社長
広島県織染協同組合理事
広島地方裁判所・広島家庭裁判所調停委員
昭和29年(1954年)6月25日〜
 昭和41年(1966年)
60〜
72歳
誠之館同窓会幹事長
昭和31年(1956年)7月〜
 昭和32年(1957年)6月
62〜
63歳
福山ロータリークラブ会長
昭和34年(1959年)4月29日 65歳 黄綬褒章
昭和37年(1962年) 68歳 紺綬褒章


生い立ちと学業、業績
氏は福山染色業界の泰斗。誠之館中学校を経て大阪工業高等学校を卒業。

昭和2年5月備後染色株式会社に入り、爾来その道一すじに精励された。
昭和11年(1936年)常務取締役に就任、昭和21年(1945年)に社長となり事業経営に任じて業績を仕上げて後、広島県織染協同組合理事に推された。

業界に対する熱意と努カは並ぶ人なく、その功績は高く評価されている。
昭和34年(1959年)4月29日産業功労者として黄綬褒章を授与されたことは、これを如実に物.語っている。

今日では又、広島地方裁判所・広島家庭裁判所の調停委員、誠之館同窓会幹事長としても、部内外の信望を集めている。
物静かで、老松の趣きを想わせる人柄は、福山実業界の指導的地位にあり、人をして尊敬の念をいだかさずにはおかない。

趣味も枯淡、釣を楽しまれ、囲碁は初段の腕前である。

福山市田尻町。父は
泉原彌一郎氏。   (出典1)


出典1:『政治産業文化綜合名鑑』、備後文化出版社刊、昭和34年9月
出典2:『備後備中肖像名鑑 郷土を創りつつある人々』、備後文化出版社刊、昭和37年8月
2005年4月11日更新:経歴・本文●2006年6月15日更新:タイトル●2006年8月28日更新:経歴・出典●2008年2月13日更新:経歴・本文・関連情報削除●2010年7月8日更新:経歴●