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実業家、福山誠之館同窓会幹事長 | |||||||||
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経 歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
生:明治27年(1894年)ごろ、広島県芦品郡戸手村(現福山市新市町戸手)生まれ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
没:(不明) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
氏は福山染色業界の泰斗。誠之館中学校を経て大阪工業高等学校を卒業。 昭和2年5月備後染色株式会社に入り、爾来その道一すじに精励された。 昭和11年(1936年)常務取締役に就任、昭和21年(1945年)に社長となり事業経営に任じて業績を仕上げて後、広島県織染協同組合理事に推された。 業界に対する熱意と努カは並ぶ人なく、その功績は高く評価されている。 昭和34年(1959年)4月29日産業功労者として黄綬褒章を授与されたことは、これを如実に物.語っている。 今日では又、広島地方裁判所・広島家庭裁判所の調停委員、誠之館同窓会幹事長としても、部内外の信望を集めている。 物静かで、老松の趣きを想わせる人柄は、福山実業界の指導的地位にあり、人をして尊敬の念をいだかさずにはおかない。 趣味も枯淡、釣を楽しまれ、囲碁は初段の腕前である。 福山市田尻町。父は泉原彌一郎氏。 (出典1) |
出典1:『政治産業文化綜合名鑑』、備後文化出版社刊、昭和34年9月 出典2:『備後備中肖像名鑑 郷土を創りつつある人々』、備後文化出版社刊、昭和37年8月 |
2005年4月11日更新:経歴・本文●2006年6月15日更新:タイトル●2006年8月28日更新:経歴・出典●2008年2月13日更新:経歴・本文・関連情報削除●2010年7月8日更新:経歴● |