福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
伊澤蘭軒 伊沢蘭軒
いざわ・らんけん いざわ・らんけん
福山藩医、儒官
伊澤蘭軒(伊沢蘭軒) (出典1)


経 歴
生:安永6年(1777年)11月11日、江戸・本郷真砂町生まれ
没:文政12年(1829年)3月18日、享年53歳、江戸・長谷寺(ちょうこくじ)に葬る
幼時 榊原弥平兵衛忠寛(ただひろ)(巵兮)に師事
天明9年(1789年) 12歳 泉豊洲に経義を問う
豊洲塾において目黒道琢、武田叔安(長春院)に医学を学ぶ
寛政6年(1794年) 17歳 阿部家へ出仕、正倫の侍医となる
文化元年(1804年) 27歳 江戸において菅茶山に出会う
文化3年(1806年)~
 文化4年(1807年)
29~
30歳
長崎に赴き、清国医師の程赤城・胡兆新らと交わる
文化3年(1806年)6月17日 29歳 長崎への途上、神辺の菅茶山を訪ねる
文化3年(1806年) 29歳 広島において頼春水、頼山陽に会う
文化12年(1815年) 38歳 奥医より表医に移る
文政2年1819年) 42歳 儒官(兼藩医)


生い立ち・学業と業績
生い立ち
名は信恬(のぶさだ)。通称が辞安。字は君悌のち憺甫。号は蘭軒・蘭齋・ケン齋(ケンは草冠に姦)・都梁・笑仙・笑僊・藐姑射山人(邈姑射山人)など。堂号は酌源堂、三養堂。書室を芳樹書院とよんだ。
家は、代々の福山藩士。
父は伊澤長安(はじめは玄安)信階[号:昇軒]、その長子として生まれる。
伊澤家の初代は伊澤吉兵衛正重で、三河出身の旗本であった。

学業
泉豊洲に経義を問い、また豊洲塾において目黒道琢・武田長春院叔安に医学を学んだ。
文化元年(1804年)に長崎奉行の榊原主計頭に従って長崎に赴き、清国人医師の程赤城・胡兆新らと交わった。
長崎への途上には神辺の黄葉夕陽村舎を訪れ、菅茶山に再会している。
また本草学は、太田大洲(澄元)、赤荻由儀を師とした。医学上の考証の学に長け、有名となった。


業績

藩主・阿部正精の信任を得て藩医となり、さらには儒官を兼ねた。
桜の樹を愛し、自宅の庭へ芳野山の桜樹を移植して、ゆえに居所を芳樹書院と名付けたという。

菅茶山
頼春水頼杏坪、真野竹亭、鈴木宜山、太田南畝、亀田鵬斎、狩谷棭齋、横山辰弥、木村定良、植村士明などの文化人との交流がある。
門下生に門下五哲といわれた森枳園(立之)、渋江抽齋、岡西玄亭、清川玄道、山田広業がいる。
晩年は、足に疾患があり癒えず、膝行して阿部正精公側に侍し、公はこれを厚く信任したという。

文政12年(1829年)3月18日、53歳で病没した。
江戸は長谷寺(ちょうこくじ)《現港区西麻布》に眠る。
法名は芳櫻軒辞安信恬居士。

森鴎外の著書『伊澤蘭軒』によっても知られる。
自らの肖像画を、武具をつけたスタイルで福山の画人・村片相覧(むらかた・おうみ)に画かせている。


伊澤家

蘭軒は、妻・益(ます)との間に三男五女をもうけた。
蘭軒没後の伊澤家はその第一子の榛軒がついだ。
榛軒には子がなく養子子の棠軒が家督を相続した。
蘭軒の第二子・
伊澤柏軒も奥医師で、阿部正弘を看取った。


探しています
氏 名 書  名 制作/発行 日 付 コメント
伊澤蘭軒 著 『蘭軒遺稿』(全1巻) 明治7年(1874年) 森枳園編
伊澤蘭軒 著 『簡斎漫録』(著者自筆本、全11巻) 支那医事事項鈔
伊澤蘭軒 著 『ケン斎要方』 内科治方
伊澤蘭軒 著 『長崎紀行』(著者自筆本、全1巻) 文化3年(1806年)
伊澤蘭軒 著 『ケン齋詩集』(著者自筆本、全1巻)
伊澤蘭軒 著 『居家遠志』(著者自筆本、全1巻) 医事に関する随筆
伊澤蘭軒 著 『蘭軒医談』(全1巻) 森枳園編
伊澤蘭軒 著 『蘭軒医話』(全1巻) 山田業広編
伊澤蘭軒 著 『本朝医考補遺』(著者自筆本、全2巻) 黒川道祐著『本朝医考』の補遺
伊澤蘭軒 著 『牽牛花水鏡(前編)』(伊澤蘭軒序) 文政元年(1818年) 秋水茶寮痩菊撰、後編未刊
伊澤蘭軒 著 『簡齋随筆』
伊澤蘭軒 著 『芳桜吟社稿』
伊澤蘭軒 著 『医方干支』
伊澤蘭軒 著 『春山路』
伊澤蘭軒 著 『諸書襍考』
伊澤蘭軒 著 『本朝医家書目』
伊澤蘭軒 著 『蕷軒文集』


出典1:『藝備醫志(芸備医志)』、26頁、広島県医師会編刊、昭和48年11月11日
出典2:『穆翁傘寿録「往時縹渺」』、45頁、岩崎博著、鶴庵文庫刊、2007年12月1日
出典3:『芸備両国医師群像』、22頁、「井沢蘭軒」、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和58年1月1日
出典4:『福山の今昔』、161頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
出典5:『福山市史 近世編』、848頁、福山市史編纂会編刊、昭和43年3月30日
出典6:『廣島縣醫人傅(第1集)』、10頁、「伊澤蘭軒」、江川義雄編刊、昭和61年4月19日
出典7:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、73頁、「伊澤蘭軒」、福山市立福山城博物館編刊、平成8年4月6日
出典8:『福山藩の文人誌(再刊)』、198頁、「伊澤蘭軒」、濱本鶴賓、葦陽文化研究会編刊、1988年7月22日
2005年3月23日更新:出典●2006年2月24日更新:経歴・本文●2006年6月15日更新:タイトル●2007年12月21日更新:経歴・本文●2007年12月26日更新:本文●2009年10月1日更新:本文・著書・出典●2009年10月20日更新:経歴・本文・著書→探しています・出典●2012年2月2日更新:経歴・本文・出典●2014年5月9日更新:本文●2015年10月20日更新:レイアウト・経歴・本文・探しています・出典●