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和歌山藩儒者 | |||||||||
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経 歴 | ||||||
生:元禄7年(1694年)5月1日、京都堀川生まれ | ||||||
没:安永7年(1778年)3月27日、享年85歳、和歌山鈴丸法蓮寺に葬る | ||||||
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生い立ちと学業、業績 | ||||||
江戸時代中期の儒学者。 古学堀川学派。 名は長堅、字は才蔵、蘭嵎はその号。ほかに、六有斎・抱○斎と号する。 元禄7年(1694年)5月1日、伊藤仁斎68歳のとき、その五男として京都堀川に生まれる。 母は瀬崎総。 幼年にして父を失い、長兄伊藤東涯によって教育された。
兄弟のうちで、東涯とともに最も学問にすぐれ、堀川の首尾蔵と並称された。 享保16年(1731年)、和歌山藩に仕えて藩儒となったが、なお京都と和歌山を往来し、元文元年(1736年)、兄伊藤東涯の没したとき、その子東所が幼かったので、その成長するまで10年間、賜暇を請うて、古義堂の塾をあずかり、あわせて東所の教育にあたった。 安永7年(1778年)3月27日、和歌山にて没。85歳。同地の鈴丸法蓮寺に葬る。 紹明先生と私諡された。 子の亦蘭(名は有済)があとをつぎ、以後代々和歌山藩儒であった。 蘭嵎の学問は、実学をつぎながら墨守をむねとせず、父伊藤仁斎が『大学』を孔子の遺書ではないとするのを、荀子学派の書物であろうといい、また『論語』、『孟子』を中心とした仁斎の学問に対し、五経の研究をするなど新しい発展を目ざした。 著書に『易憲章』4巻、『書反正』8巻、『詩古言』、『春秋聖旨』、『読礼記』があり、詩文集『紹衣稿』6巻は、その一部だけが『紹衣稿鈔』2巻として刊行されている。 また編輯したものに『明詩大観』がある。 蘭嵎は書画にもすぐれ、蘭の画を好んで描いた。 (出典1) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00075 | 伊藤才蔵 書 | 巻子「六有軒記」 | − | − |
出典1:『国史大辞典1』、711頁、吉川弘文館編刊、昭和54年3月1日 |
2005年7月19日更新:レイアウト●2006年2月24日更新:本文・所蔵品●2006年6月15日更新:タイトル●2008年1月10日更新:経歴●2008年2月12日更新:名前・経歴・本文●2009年12月25日更新:レイアウト● |