福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
石川元亮
石川貞白
いしかわ・げんりょう いしかわ・ていはく
医家


経 歴
生:文化8年(1811年)、福山生まれ
没:明治18年(1885年)、享年75歳、福山寺町光政寺に葬る
文政8年(1825年)〜
 文政9年(1826年)ごろ
14〜
15歳ごろ
阿部公の御坊主となる
妙政寺川端に家を構える
大念寺そばに転居する


生い立ちと学業、業績
江戸の人、医家。
名は元亮、貞白・貞伯と号した。
元毫
(もとあきら)ともいったか。
旧名は磯野勝五郎。

14、15歳の頃、阿部公の御坊主となる。
医薬のことに詳しい。
伊澤蘭軒が君前にいざり出て、塙保己一(はなわ・ほきいち)の話相手をつとめた。
父の失禄にあたり、表向き伊澤榛軒の門人となり、剃髪して医師となり石川貞白と称した。
国語学に精しく、歌文を作る。

酒好きで時に誤り、榛軒の戒めにより酒を断った。
伊澤家や渋江抽斎とも親しかった。

長じて後、君侯より一家を構えることを許され、一冑、下し金までいただいた。
たまたま取調べがあり、その一冑を売り払っていたことが発覚し、御暇となった。
その後、伊澤棠軒(伊澤良安)の世話により帰参を許されたが、その時は伊澤長安の一七日だったため、位牌を抱いて泣いたという。
福山において、妙政寺川端に構えた家は、大正の頃まで残っていたという。
のち、大念寺そばに転居した。

明治18年(1885年)没、福山寺町光政寺に葬る。

前田夏蔭
(まえだ・なつかげ)門の秀才。
日の本ハ櫻を花の大君と
   霞める月をきぬかさにせり
(夏月) ひねもすの暑さ流れて行水の
   さも涼しげの月のかけ哉
(菊) きくの花さきにしよりや秋をしも
   千円とよよにいひならしらん
(雷) しばしだに心の直くなる神ハ
   人をいさめのつづみなるらん
   (出典1)〜(出典4)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
05365 藤井松林 画 ほか 日本画「備後画人寄書」 明治10年ごろ


出典1:『福山藩の文人誌』、151頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、1988年7月27日
出典2:『郷賢録』、58頁、福田禄太郎著、福山城博物館編刊、平成12年10月1日
出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、74頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
出典4:『芸備両国医師群像』、24頁、「石川貞白」、阪田泰正著、安芸津記念病院郷土史料室刊、昭和58年1月1日
2009年6月12日追加●2009年6月25日更新:経歴・本文●2009年10月1日更新:経歴・本文・出典●2009年10月20日更新:出典●2009年10月21日更新:出典●