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福山誠之館校医、福山誠之館同窓会副会長 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:大正7年(1918年)3月25日、福山市松山町小丸山(現福山市丸之内1丁目)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:平成20年5月15日、享年91歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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弔 辞 岩崎博(昭和19年卒) |
長年に亘り公私に亘りご指導頂き、今日まで私自身の精神の主柱として尊敬、兄事してまいりました石井淳先生がとうとう亡くなられました。 痛恨の思い一入であります。 この数年、先生が長い闘病生活に入られてからの精神的苦痛は大きかろうと、お会いするとつい慰めの言葉をかけようと致しますが、何時も自らを厳しく律し、前向きに考えられる先生は一度も弱音を吐かれたことがなく、毎日の散歩スケジュールなど普段どおりの明るい表情で淡々と過ごされておりました。 このような石井先生なら、いすれ立ちなおられ、も一度往年の如く私共の先頭に立って先導して頂けるのものと、私は今まで強く信じてまいりました。 思えば先生とはほんとに長い、40年に及ぶ御縁であります。 先生は広島高等学校から阪大医学部に進まれ、当地の郷土病「日本住血吸虫症」の研究で学位をとられたのち郷里福山で開業されますが、医師会理事はじめ、多年に亘り地域医療に挺身され、母校誠之館の校医を30年余に亘り勤められました。 私が開業した昭和30年代、誠之館、旧制広島高等学校の先輩として、また医師会理事時代も先輩理事として、先生の素晴らしさを知りましたが、当時みな活気に溢れ、共に過ごした先生方との酒席の談論では大いに私ども後輩は鍛えられましたが、猪原修三先生、小林政夫先生たち大先輩に向かっても結構言うべきことは言えた、開かれた良い時代でした。 その後何十年も、特に誠之館に関してはいつか石井先生の情熱的な愛校心を追う形になり、私のPTA会長就任の際もその任でないと突っぱねたものの、極めて強烈な先生のアタックは杉之原角造さんまで伴って来宅され全く揺るがず、最期にとうとう押し切られてしまいましたが、先生は今にして思えば、自ら熟考した計画は緻密に根回しをされ、いささかもぶれず、実現されてきました。 誠之館同窓会幹事長として土肥、八杉、猪原各会長を助けられ、母校誠之館の木之庄への移転に際しては実行隊長となって新講堂の建設を発議され、全国同窓生に呼びかけ、見事に誠之講堂の建設を果たされましたが、募金等一切の実務を取り仕切られた先生なくしてその実現は在り得なかったと思います。 更に同窓会副会長として、また顧問として、限りない愛情を母校の発展に注がれました。 この間、年一度の総会だけは隆盛だが、本部自体は実行基盤を持たないことを憂えられ、平成6年、先生の発議により、財務、総会、出版の各実行委員会制度を設け、副会長を委員長として本部が実務を見る、現在の体制を作られたことで、それまで単なる精神的支援と、まとめ役的な立場に過ぎなかった同窓会本部が実質的な支援組織として育ち、今日の大同窓会発展につながりましたが、すべて先生の一途な母校への情熱と緻密な立案なくしてはありえなかったと私は強く信じております。 先生は自らが価値在りと目指したものに対しては徹底的に挑まれ、長い年月かけて見事に仕上げられました。 ライオンズクラブへの愛情もそうでしょうし、誠之館もそうでした。 また同窓の先輩である母校広島高等学校への愛着も強く、やがて「福山地区旧制高校の集い」を立ち上げられ、毎年12月、10数年に亘り遠近多くの参会者相集う中、私共が愛して止まない青春の歌、乱舞の中、薫風寮寮歌を歌い上げられていた先生の情熱的な心の若さ。 つい最近のことのように思い出します。 先生のこと、何時か、さわやかな笑顔で何気なく、「治ったよ」と出てこられ、昔語りを肴に一杯飲める日が必ず来ると信じておりましたのに。 今はただ長年賜ったご配慮と友情に感謝し、寮歌惜別歌の一節を添えてお別れと致します。 春洛陽の花霞 散りて惜しまぬ青春の 緑の子らが掻き鳴らす 三弦の音に照り添ふる 純白き生命の友情は 今宵別れの琥珀酒 今宵別れの琥珀酒 お別れです 石井先生 さようなら 平成20年5月16日 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
02816 | 石井淳著 広島県立福山誠之館高等学校生徒会編 | 「旧校歌碑建設に思う」 『誠之(Vol7)』、39頁 |
広島県立福山誠之館高等学校生徒会 | 昭和46年 |
02060 | 石井淳著 福山誠之館同窓会編 | 「中学校時代の思い出」 『懐古−誠之館時代の思い出−』、153頁 | 福山誠之館同窓会 | 昭和58年 |
02042 | 石井淳著 福山誠之館抱十会編 | 「私の履歴書」 『福山誠之館昭和十年卒業生記念誌 回想五十年』、35頁 | 福山誠之館抱十会 | 昭和60年 |
出典1:『福山誠之館昭和十年卒業生記念誌 回想五十年』、35頁、「私の履歴書」、石井淳、福山誠之館抱十会編刊、昭和60年10月26日 |
2004年10月14日更新:経歴●2005年4月11日更新:経歴●2006年6月15日更新:タイトル・経歴●2007年8月22日更新:関係資料●2007年8月23日更新:経歴・関係資料●2007年8月24日更新:経歴・出典●2008年2月13日更新:経歴・本文●2008年5月19日更新:経歴・本文●2009年1月28日更新:経歴●2009年5月13日更新:経歴●2011年7月7日更新:経歴●2011年8月17日更新:誠之館所蔵品・関係資料(削除)● |