福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
井上雪塢
いのうえ・せつう
俳 人


経 歴
生:享和3年(1803年)
没:明治9年(1876年)12月、新市において没、享年74歳、新市安養寺に葬る
第6世風羅堂盟主
弘化のはじめ 奈良津村の山に一宇を設ける
府中に移住
新市において酒造業を営む


生い立ちと学業、業績
名は吉兵衛。字は雪塢。墻東庵と号した。

代々胡町岩田屋前門に住し、油滓および木綿の問屋と、質屋とを営んだ。

俳句への造詣が深く、仲間たちに第6世風羅堂盟主に推された。
雪塢は野坡の遺跡が荒廃しているのを嘆き、弘化のはじめに奈良津村の山に一宇を設け雪月花を娯しむ道場とした。
同好の士は、これをよろこんで、踵を接して日参したという。

雪塢は風流三昧に徹して産を傾けたため、文久のはじめに延藤吉兵衛をたよって府中に移った。
のち延藤の新市支店を頼って同地において酒造業をはじめた。

明治9年(1876年)12月、新市において没、享年74歳、新市安養寺に葬る。
俳句の作品
舞子にて 長閑さや松葉交りの蹴上げ砂
朝柳 掃跡に朝露寒き柳かな
焼野の月 此頃の焼野におしき月夜かな
初時雨 水にのみ見えてやみけり初しぐれ
わたる雁遠山近くおもひけり
降りやみて目先に浮くや雪の山
今年にも昨日の出来る二日かな
竹うえて移ともせぬ隣かな
明月や一粒よりの草の露
仕舞湯に下女のいる中御慶かな
京都に居画会に行きて応じかねにげ出したり。帰途澱川舟中にて くる様ニ見ゆる蛍や下り舟
村居重陽 ただ赤し家陰は菊の八重葎
出はぐれて一日うける御慶かな
風羅堂
始祖 風羅堂 松尾桃青
2世 浅生庵 志田野坡
3世 雨聲庵 駒田素浅
4世 鶴橋庵 安田南河
5世 白二庵 柴田李朝
6世 墻東庵 井上雪塢
7世 木工舎 羽田暁雨
8世 金波園 北村照明


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
05115
井上雪塢  書
湘波  画
扇面「たんぽぽ」
05117 井上雪塢 書 扇面「残炎」


出典1:『福山藩の文人誌』、176頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、昭和63年7月27日
出典2:『郷賢録』、64頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日
出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、74頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日
2009年7月16日追加●2009年8月7日更新:本文・出典●