福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
井上角五郎
いのうえ・かくごろう
藩校誠之館卒、政治家、実業家
井上角五郎 (出典1)


経 歴
生:万延元年(1860年)10月18日、備後国深津郡野上村(現広島県福山市古野上町)生まれ
没:昭和13年(1938年)9月23日、享年79歳
慶應2年(1866年) 7歳 福山藩儒・山室汲古に就き、漢学を学ぶ
明治元年(1868年) 9歳 特例として藩校誠之館へ入学
明治6年(1873年) 14歳 村の小学校教師を勤める
明治12年(1879年) 20歳 上京し福沢諭吉の書生となる
明治15年(1882年) 23歳 慶応義塾を卒業
明治16年(1883年) 24歳 朝鮮政府の顧問
明治23年(1890年) 31歳 衆議院議員
明治26年(1893年) 34歳 北海道炭坑株式会社・理事
明治32年(1899年) 40歳 北海道炭坑株式会社・専務
明治40年(1907年) 48歳 日本製鋼所会長
大正9年(1920年) 61歳 緑綬褒章下賜
福山教育義会評議員


生い立ちと学業、業績

井上角五郎氏は、万延元年(1860年)、備後国深津郡野上村(現福山市古野上町)の農家に生まれた。
号は琢園。

慶応元年(1865年)6才の時、付近の寺子屋(師匠は林信平)において手習いをはじめた。
やがて慶応3年(1867年)、福山藩儒
山室武佐衛門(汲古)に就いて漢字を学びはじめたが、学業成績がとくに優秀であったため、師の推薦により特例として藩校誠之館への入学を許された。
入学後漢学・数学を学んだが、とくに数理に長じていたので学校から準得業生の称を授けられ、月々多少の手当を支給されていた。
藩校誠之館は、一次二次の教育改革、廃藩置県による県移管を経て、明治5年(1872年)10月閉校となったが、氏は閉校前に退学し、引続き漢籍は
門田重長、数学は江間平一両師の私塾に通って研鑽していた。


明治6年(1873年)、井上家の所有地内にはじめて小学校が設けられた〔「文部省第2年報(明治7年)」の小学校一覧表によれば、野上村設置の小学校名は「正南学校」となっている。〕
井上角五郎は、当時14才であったが、村人の依頼によりこの学校の教師となった。
当時の小学校はまだ寺子屋程度であったとはいえ、14才とは非常な若さである。


「井上角五郎先生伝」(井上角五郎先生伝記編纂会、昭和18年12月25日発行)には、
「明治8年(1875年・16歳)には、母堂の許しを得て、広島県立尋常師範学校福山分校に入学した。
これは誠之館の学制改革に依って出来たのである。」
という記事がある。
この記事で、明治8年(1875年)が正しければ、入学したのは旧誠之館を校舎とする「小田県師範学校」であり、もし「広島県立尋常師範学校福山分校」(正しい名称は広島県公立師範学校分校)に入学したのが正しければ、明治9年(1876年)7月(17歳)に入学ということになる。
卒業年次を「先生伝」によって、「明治10年の年末同期生12名とともに卒業し、翌明治11年(19歳)の年初には、小学校教員免許状を受け」たとすれば(「先生伝」12頁)、入学したのは後者であり、約1年半の在学で下等小学師範科を卒業したことになる。


「公立師範学校福山分校」在学中の氏の学生生活の一端をここに紹介する。

「君は教場に於て必要の事は他の生徒と同じく石版に書き写すと雖(いえども)、改めて之を手簿に写し取ることなく、毎に拭消して之を頭脳に銘記するを例とせり。
当時は現今の如き電気燈なきは勿論、石油ランプすら未だあらず、僅かに種油或は魚油を燈し光明を採りし故に、読書等に眼を労する著しく、君は鳥目と云う事由を以て夜間の読書自修を免除せられ、黄昏の頃より就床を許されたり。
誰か知らん君は休中瞑目するも睡らず、昼間学修せし事を暗誦し又時に算数に関する難問題の解釈を考究し、その明解を得て窃
(ひそか)に会心の笑を漏らせしとあり。」
(「福山学生会雑誌」第87号所載、「故井上角五郎君を偲ぶ」高橋章)


随って毎学期の試験にはいつも優等の成績であったが、同時にまた議論好きであって、同僚と盛んに議論をたたかわすばかりでなく、校長や教師に対しても、激論を試みることがしばしばであった。
当時寄宿舎で、先生(井上氏)の弁論と鳥目と寝言とは有名なものであった。
また喧嘩にも相当強かったという(「井上角五郎先生伝」)。


卒業後、深津郡吉田村小学校(現福山市春日町吉田)、つづいて安那郡北山村小学校(現福山市加茂町字北山)に勤務したが、青雲の志やみがたく、明治12年(1879年)、同郷野上村出身の先輩
小林義直氏をたよって上京した。
3カ月程して、小林氏のすすめもあって福沢諭吉の門をたたき、その書生として住みこむとともに慶応義塾に通学し、明治15年(1882年)7月、これを卒業した(23歳)。


その後、福沢の指示によって朝鮮にわたり、壬午・甲申の変にゆれる朝鮮政府の顧問となり、また「漢城旬報」(のち漢城週報)の発行にも力をつくした。
帰国後は政治家をこころざし、明治23年(1890年)10月(31歳)、第1回の衆議院議員に当選以来、大正13年(1924年)まで、連続当選13回、第1回から第47回までの帝国議会に参加した。
その他北海道炭鉱株式会社・日本製鋼所等をはじめ、主要な会社・銀行等の経営者になるとともに、教育界においても大きな足跡を残し、とくに「国民工業学院」の理事長として、その創立・経営につとめ、工業道徳の振興に力をそそいだ。また福山市と関係深い事項では、昭和2年(1927年)、福山教育義会財団の評議員に当選したこと、大正12年(1923年)、「西片町会」(東京都本郷阿部邸の所在地)を組織したことなどをあげることができる。
   (出典2)
明治43年(1910年)7月、井上巡回文庫の設置に着手。
郷土の青年の向上に資し且他日小図書館設置の準備として深安・沼隈両郡に巡回図書館を開始。続いて大正2年(1913年)6月、芦品郡にも及んだ。
大正14年(1925年)6月、郡制廃止と同時に各郡小学校へ分配寄贈された。
(参考)
      設置規定 
第一條 巡回文庫ハ、深安沼隈両郡人士ヲシテ図書閲覧ノ便ヲ得シムルヲ以テ目的トス。
第二條 巡回文庫ハ、本部ヲ深安郡役所二置キ、深安沼隈両郡長之ヲ管理ス。
第三條 巡回文庫ハ各村小学校二廻付ス。
第四條 小学校ハ閲覧室ヲ設ケ、村内人士ヲシテ普ク閲覧ノ便ヲ得シムベシ。
第五條 小学校二於テ適当ノ閲覧室ナキ場合ハ、青年会場其ノ他適当ノ場所二閲覧所ヲ設クベシ。
第六條 各村二廻付シタル巡回文庫ハ、廻付ヲ受ケタル小学校長管理ノ責二任ズ。
第七條 巡回文庫ハ各町村ヲ以テ一区域トシ、一区域ノ使用期ハニケ月トス。但シ一区域ノ使用機関ハ、管理者ノ意見二依リ伸縮スルコトアルベシ。
   (出典1)


誠之館所蔵品展示品
管理 編著者 書  名 制作/発行 日 付
t1050 井上角五郎 書 「般若心経」
02059 井上角五郎 編 『小林先生小傳』 井上角五郎 明治39年
06721 井上五郎 著 『私の履歴書』 日本経済新聞社 昭和42年
02983 近藤吉雄 著 『伝記叢書43 井上角五郎先生伝』 大空社 昭和63年
04521 井上園子 著 『井上角五郎は諭吉の弟子にて候』 文芸社 平成17年
04656 李修京 編 『韓国と日本の交流の記憶 日韓の未来を共に築くために』(88頁) 白帝社 平成18年


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編著者 書  名 制作/発行 日 付
井上角五郎 訳 『万国政表』 明治16年
井上角五郎 著 『漢城之残夢 完』 春陽堂 明治24年
井上角五郎 演説 『井上角五郎君演説筆記「議会解散意見」』 忠愛社 明治25年
井上角五郎 立案 『張嬪 朝鮮宮中物語』 明治27年
井上角五郎 著 [朝鮮改革意見』 明治27年
井上角五郎 著 『帝国議会小史』 明治35年
井上角五郎 演説 『行政整理の経過と後来の希望 衆議院議員井上角五郎演説筆記』 大正元年ごろ
井上角五郎 著 歌集『おもひてくさ』 井上角五郎 大正2年
井上角五郎 著 『観音とは何か』 大正13年
井上角五郎 著 『南無観音』 南無観音発行所 大正15年
井上角五郎 著 『仏教の上より見たる政治』 昭和2年
井上角五郎 著 『作業心得』 昭和6年
井上角五郎 著 『工業道徳』 昭和7年
井上角五郎 著 『北海道炭砿汽船株式会社の十七年間』 昭和8年
井上角五郎 編 『二宮尊徳の人格と思想』 国民工業学院 昭和10年
井上角五郎 著 『信仰と政治』 (私家版) 昭和12年
井上五郎 編 歌集『詠感集』 昭和13年
井上角五郎 著 歌集『はつさくら』
井上角五郎 著 歌集『みめくみ』
井上角五郎 著 歌集『詠草第四』
井上角五郎 著 歌集『詠草第五』
井上角五郎 著 歌集『おいのさち』


出典1:『伝記叢書43 井上角五郎先生伝』、近藤吉雄著、大空杜刊、昭和63年
出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、285頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典3:『井上角五郎は諭吉の弟子にて候』、井上園子著、文芸社刊、2005年9月15日
関連情報1:誠之館歴史資料「福山藩藩校『弘道館』と『誠之館』」
2005年6月2日更新:本文・出典●2005年8月25日更新:所蔵品●2006年3月31日更新:タイトル・所蔵品●2006年12月12日更新:経歴●2006年12月13日更新:関連情報●2007年5月1日更新:所蔵品●2008年2月7日更新:経歴・本文・関連情報●2009年6月30日更新:経歴・誠之館所蔵品●2011年9月1日更新:誠之館所蔵品●2012年5月2日更新:本文●2013年11月7日更新:写真・探しています●2014年3月12日更新:誠之館所蔵品展示品●