福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
井伏鱒二
本名
井伏満寿二
いぶせ・ますじ いぶし・ますじ
作 家
井伏鱒二 (出典1)


経 歴
生:明治31年(1898年)2月15日、福山市加茂町粟根生まれ
没:平成5年(1993年)7月10日、享年96歳、東京青山・持法寺に葬る
明治38年(1905年)4月 7歳 加茂小学校入学
明治44年(1911年)3月 13歳 加茂小学校卒業
明治44年(1911年)4月 13歳 法成寺村下加茂村連合高等小学校入学
明治44年(1911年) 13歳 加茂尋常高等小学校に転校
明治45年(1912年)4月 15歳 福山中学校(誠之館)に入学、寄宿舎に入る
大正6年(1917年)3月 20歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
大正6年(1917年)5月〜6月 20歳 橋本関雪への入門が叶わず
大正6年(1917年)9月 20歳 早稲田大学予科1年へ編入学、下宿生活を始める
大正8年(1919年)4月 22歳 早稲田大学文学部仏文学科1年
大正10年(1921年)4月 24歳 日本美術学校別格科にも入学
大正11年(1922年)5月 25歳 早稲田大学を退学
大正11年(1922年)5月 25歳 日本美術学校も退学
大正12年(1923年)7月 26歳 同人誌「世紀」に参加、『幽閉』を発表
大正15年(1926年)〜
 昭和2年(1927年)秋
29〜
30歳
同人誌「陣痛時代」に参加
昭和3年(1928年)3月 31歳 「文芸都市」同人
昭和4年(1929年) 32歳 「文学」同人
昭和5年(1930年)4月 33歳 新興芸術派倶楽部に参加
昭和11年(1936年)2月 39歳 「四季」同人
昭和13年(1938年)2月 40歳 『ジョン万次郎漂流記』で直木賞(第6回)を受賞
昭和16年(1941年)11月〜
 昭和17年(1942年)11月
44〜
45歳
陸軍徴用員として従軍
昭和19年(1944年)5月 47歳 山梨県甲運村に疎開
昭和20年(1945年)7月 48歳 郷里加茂村に再疎開して終戦を迎える
昭和22年(1947年)7月 50歳 東京荻窪に帰る
昭和25年(1950年)5月 53歳 『本日休診』などで読売文学賞(第1回)
昭和31年(1956年)5月 59歳 日本芸術院賞
昭和35年(1960年)3月 63歳 日本芸術院会員
昭和41年(1966年)11月 69歳 原爆をテーマにした『黒い雨』で野間文学賞
昭和41年(1966年)11月 69歳 文化勲章
昭和41年(1966年)12月 69歳 加茂町名誉町民
昭和50年(1975年)2月 78歳 福山市名誉市民
平成元年(1989年)7月 92歳 広島県名誉県民
平成2年(1990年)10月 93歳 東京都名誉都民


生い立ちと学業、業績
生い立ちと学業
明治31年(1898年)2月15日〜平成5年(1993年)7月10日。
小説家。本名満寿二、広島県生まれ。

井伏家は中ノ土居という屋号の旧家。
父郁太は若き日に素老の名で漢詩文を残している。
福山中学卒業後、画家を志したが、志望を変更して早稲田大予科に編入。
大学仏文科では級友青木南八と親交を結び、『幽閉』(『山椒魚』の原型)など小説の習作をしたが、片上伸教授とのトラブルから大学を休学、大正11年(1922年)退学。

業績
大正12年(1923年)同人誌「世紀」に『幽閉』を発表。
大正15年(1926年)同人誌「陣痛時代」に参加したが、同人が左傾したので翌年秋頃脱退。
昭和3年(1928年)「文芸都市」同人となり、『夜ふけと梅の花』(昭3)『山椒魚』(昭4)などを発表。
昭和4年(1929年)「文学」同人となり『屋根の上のサワン』を発表。
昭和5年(1930年)新興芸術派倶楽部に参加、第一創作集『夜ふけと梅の花』を刊行、「作品」同人となるなどして作家的地位を築いた。
この年太宰治に初めて会った。

昭和5年(1930年)『仕事部屋』を新聞連載。
各誌に分載した中篇『川』(昭7)を刊行。
挿話と挿話を連鎖的につないで作品を構成する手法は、以後この作家固有の方法となる。
『集金旅行』(昭12)も、同じような連作的方法による作品である。
一連の人物論『風貌姿勢』を含む『随筆』(昭8)をはじめ『田園記』(昭9)『肩車』(昭11)『静夜思』(昭11)など随筆集も多く刊行している。
井伏にとって随筆は小説に匹敵する表現スタイルである。
詩も早くから書いた。

昭和11年(1936年)「四季」同人。
『厄除け詩集』(昭12)はその独自の詩境をよく示している。
昭和13年(1938年)『ジョン万次郎漂流記』(昭12)によって第六回直木賞受賞。
昭和5年(1930年)以来各誌に断続分載して来た作品を『さざなみ軍記』(昭13)として刊行。
昭和5年(1930年)9月「文学界」同人となる。
連作の『多甚古村』(昭14)が戦前唯一のベストセラーとなった。

昭和16年(1941年)陸軍徴用員として従軍、タイを経てシンガポールに入り、「昭南タイムズ」の発行や昭南日本学園の仕事にたずさわる一方、『花の街』(昭17)を内地の新聞に連載。
この戦争体験が戦後の文業のひとつのバック・ボーンとなった。

昭和19年(1944年)山梨県に疎開、翌年郷里に再疎開して終戦を迎える。
戦後は『二つの話』(昭21)以後、戦争批判を含んだ歴史小説や戦後風俗を描いた作品を次々に発表。
昭和22年(1947年)東京荻窪に帰る。連作小説『引越やつれ』(昭23)を刊行。戦争体験から生まれた名作『遥拝隊長』(昭25)を発表。
昭和25年(1950年)『本日休診』(昭24)その他により読売文学賞を受ける。
昭和31年(1956年)『漂民宇三郎』によって芸術院賞を受賞。
漂民への関心は初期以来一貫している。
『駅前旅館』(昭32)『珍品堂主人』(昭32)などのように、市井の特異な職業人を通して人情の機微を描く作品も多い。

昭和35年(1960年)3月芸術院会員。
昭和41年(1966年)には原爆に取材した『黒い雨』で野間文芸賞受賞。
昭和41年(1966年)文化勲章を受ける。
昭和47年(1972年)『早稲田の森』で読売文学賞。
米寿を記念して自選全集を刊行。
その後『鞆ノ津茶会記』(昭61)『太宰治』(平2)を刊行。
(全)『井伏鱒二自選全集』全12巻・補巻1(新潮社、昭60〜61)。

平成5年(1993年)7月10日没、法名は「照観院文寿日慧大居士」。東京青山・持法寺に葬る。

井伏鱒二詩碑
平成7年(1995年)11月19日、井伏鱒二在所の会により福山市加茂町の生家近くの公園に「井伏鱒二詩碑」が建立された。
   (出典1〜6)


旧制福山中学と「山椒魚」
---試練が培った井伏文学の土壌---

                                   
古田博保(元校長)(出典4)
『山椒魚』は、大正12年(1923年)7月『幽閉』という表題で、同人雑誌「世紀」に発表された。
6年後、『幽閉』時になかった蛙を登場させ、『山椒魚』として書き改められたものである。

≪山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外に出ることができなかったのである。 『山椒魚』≫
河上徹太郎は、井伏鱒二氏の文学を「悲しみの文字」と評しているが、すでに処女作において、「ユーモア」と「ぺーソス」にオブラードされた「悲しみ」が表現されていることに注目させられる。

≪初め私は雨蛙を見つけたので掴まへて山椒魚に食べさした。
それが痛みつきで、田圃の蛙を捕って食べさすやうになった。
山椒魚がすっと浮いて来て、がぶりと一と呑みするところが面白い。『半生記』≫

明治45年(1912年)4月、福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)に入学し、寄宿舎生活のあい間に、内庭の隅にあった「畳1枚ぶんほどの大きさの浅い池」に飼ってあった山椒魚を相手にしていたことの回想が右の手記である。

嘉永6年(1853年)創設当時の藩校誠之館は霞町(現市民会館付近)にあり、明治12年(1879年)広島県福山中学となって継承し、昭和7年(1932年)三吉町(現県合同庁舎)に移転、現在の誠之館高校は昭和44年(1969年)に木之庄町へ3度目の移転をした。
従って大正元年(1912年)入学の井伏鱒二氏は霞町時代の校舎で過ごしたことになる。

山椒魚が飼われていた小さな池は、玄関付設の第1棟、手習所・会読所のある第2棟、これをつなぐ儒者講義室にかこまれた内庭にあった。
山椒魚の1疋は1尺5寸ほど、1疋は2尺7・8寸から3尺くらいの大物で、動植物学担当で寄宿舎舎監長を兼ねていた
島定保先生が管理していた。
餌をやるなら島先生の許可を得る必要があったが、こっそり蛙を食べさせていた告白を読むと、相当に厳格な性格の持主の島先生の見て見ぬふりをする寛大さと、好奇心旺盛な井伏青年の姿がほうふつとする。

福山藩主
阿部正弘の創建になる藩校誠之館は、老中筆頭職阿部正弘の幕政補佐にあった水戸藩主徳川斉昭よって名付けられ、校歌にも
「良徳公の創設に/烈公名づけし誠之館/語りて光栄の歴史あり」
と歌われているごとく「評判の悪くない学校」であった。
良徳公は正弘、烈公は斉昭をさす。

しかし、満寿二(鱒二の本名)青年にとって、当時の誠之館中学は、必ずしも満足感をもって受け入れられていなかったように思われる。
「岩屋」の内に閉じ込められた「山椒魚」の「悲しみ」は、当時の井伏の「誠之館中学」という閉鎖社会を投影しているように思える。

≪私は農家の出身で、幾らかそのせゐもあるだろうが、中学時代には阿部正弘公を大して崇めてゐなかった。
幕末のころの私の先祖や近隣の人たちは、殿様を恨む百姓一揆を秘かに歓迎してゐたと思はれる節もあるほどだ。『半生記』≫

井伏家の先祖は「中ノ土居」(「ナカンデエ」と訛って呼びならわしていた)という屋号を持つ代々地主であり、鱒二氏は明治31年(1898年)2月15日、広島県深安郡加茂村粟根八十九番地(現福山市加茂町)に、父郁太、母ミヤの次男として生まれている。
代々の地主とは言え、藩主とはほど遠い存在であり、粟根という谷間の村人である「近隣の人たち」とともに、殿様を「崇め」る側より、「恨む」側に立っての回想と受けとられよう。

『老僕のゐる風景』として発表され、のち『丹下氏邸』と改題された作品は、谷間から生まれた小説の典型と言えよう。
これらの同系の作品に『谷間』『朽助
(くちすけ)のゐる谷間』があり、物理的谷間から精神的谷間へ拡大して言うならば、『夜更けと梅の花』、『寒山拾得』、『岬の風景』、『鯉』、『埋憂記』、『屋根の上のサワン』へとつながりを見せる。

彼の在学した大正初期の福山中学(大正元年〜5年度)は校則が厳しく、彼の入っていた寄宿舎の舎則も「話に聞く軍隊式に近い」ものであった。
また、
「服従ニ必要ナル條件ヲ問フ」(修身科)、「伊勢神宮ナド出雲大社ニ付テ知ル可ヲ記セ」(日本史)
という期末試験間題(大正元年)を見ても、儒教精神を基底に置きつつも、神道を中心とした国家体制へ向う前兆がうかがえる。

大正2年(1913年)2月の行事記録を見ると、例えば、
十五日(土)制服励行、和服厳禁指導、十八日(火)昼休、校長訓諭、規律作法等、二十日(木)淺田師團長ノ乃木大将ノ話、二十五日(火)廊下ニ於ケル生徒ノ作法ヲ判定ス、廊下ニ於テ生徒、職員ニ逢フトキハ直立不動姿勢ヲトリテ注目敬意ヲ表スルコト、職員ハ之ニ對シテ注目スルコト 但し歩行ヲ止ムニ及バズ…
という調子であった。

「焼芋間食事件」(大正2年(1913年2月12日)では、4年の1人が諭旨退学、1人が無期停学、2人が1週間の停学になっており、彼自身も、『文士の風貌』の中で、佐藤春雄の『病める薔薇』を背嚢の中に入れている所を教官に見つかりきつく咎められたという感想をもらしているごとく、「小説を読んでゐるのがみつかると、一週間の停学」であった。

服装検査も頻繁に行われ、彼自身も、大正2年(1913年)6月(2学年次)の服装検査にひっかかり、粟根から出て来られたお母さんが、
「田舎者で、私の日頃のしつけが悪いものですから」
と深く謝罪され、舎長の生徒から井伏君を直接忠告制裁したいむねを受けた舎監が、それを制し、同郷の友人や親戚筋の先輩に、今で言うカウンセラー的手法で、彼の相談相手として立ち直らせてほしいむねを頼んだエピソードもある。

「山椒魚」の悲しみと、「井伏鱒二」の欝屈した中学時代の生活がオーバーラップする。

文中、何度か山椒魚の独白が見られる。
「何たる失策であることか。」
「いよいよ出られないといふならば、俺にも相当な考えがあるんだ。」
「くったくしたり物思ひに耽ったりするやつは、莫迦だよ。」
「私は今にも気が狂ひさうです。」
「ああ寒いほど獨ぽっちだ!」
と、次第に岩屋に閉じこめられた山淑魚の気持が昇華され極限に達する。

これらは、軍事色に塗り潰されて行く時代、その時代に拘束された旧制中学校の校則の中で喘いでいた井伏自身の独白でもあった。

しかし、山椒魚は発狂し自滅することはなかった。
そうなりうる条件を具備しながら、言いしれない「諦観
(あきらめ)」に到るのである。

この「諦観」を原点に、「諧謔
(ユーモア)」と「哀愁(ペーソス)」にあふれた表現手法が生まれ、岩屋から外へ視野が広げられることによって、『さざなみ軍記』、『ジョン万次郎漂流記』、『本日休診』、そして、『黒い雨』が誕生したと考えられる。
いわば、多感な青年時代に、多くの試練を与えた福山中学は、以後の井伏文学を生む母胎を形成する一翼を担ったと言ってよかろう。


誠之館所蔵品展示品
管理 氏 名 名   称 制作/発行 日 付
04573 井伏鱒二 書 色紙「聞雁」(複製)
t1240 井伏鱒二 書 書「なだれ」
03885 井伏鱒二 著 『なつかしき現実』 改造社 昭和5年
03889 井伏鱒二 著 『さざなみ軍記』 河出書房 昭和13年
03881 井伏鱒二 著 『多甚古村』 河出書房 昭和14年
04641 井伏鱒二 著 『多甚古村』 河出書房 昭和14年
04840 井伏鱒二 著 『昭和名作選集 丹下氏邸』 新潮社 昭和15年
03884 井伏鱒二 著 『風俗』 モダン日本社 昭和15年
03883 井伏鱒二 著 『風貌姿勢』 春陽堂書店 昭和17年
00393 井伏鱒二 著 『詩集 仲秋明月』 地平社 昭和17年
03882 井伏鱒二 著 『御神火』 甲鳥書林 昭和19年
04838 井伏鱒二 著 『現代文学選(20)井伏鱒二篇 まげもの』 鎌倉文庫 昭和21年
03888 井伏鱒二 著 『ジョン万次郎漂流記』 文学界社 昭和22年
04839 井伏鱒二 著 『本日休診』 文芸春秋新社 昭和25年
03893 井伏鱒二 著 『掘り出しもの』 創元社 昭和25年
03894 井伏鱒二 著 『吉凶うらなひ』 文芸春秋新社 昭和27年
03878 井伏鱒二 著 『川釣り』(岩波新書) 岩波書店 昭和27年
03887 井伏鱒二 著 『乗合自動車』 筑摩書房 昭和27年
03886 井伏鱒二 著 『黒い壷』 新潮社 昭和29年
03890 井伏鱒二 著 『白鳥の歌』 筑摩書房 昭和30年
04842 井伏鱒二 著 『白鳥の歌』 筑摩書房 昭和30年
04943 井伏鱒二 著 『短編集 ななかまど』(初刊本) 新潮社 昭和30年
04944 井伏鱒二 著 『随筆集 在所言葉』(初刊本) 修道社 昭和30年
03891 井伏鱒二 著 『漂民宇三郎』 大日本雄弁会講談社 昭和32年
03897 井伏鱒二 著 『駅前旅館』 新潮社 昭和32年
03892 井伏鱒二 著 『七つの街道』 文芸春秋新社 昭和32年
04640 井伏鱒二 著 『七つの街道』 文芸春秋新社 昭和32年
04844 井伏鱒二 著 『七つの街道』 文芸春秋新社 昭和32年
04945 井伏鱒二 著 『随筆集 還暦の鯉』(初刊本) 新潮社 昭和32年
03898 井伏鱒二 著 『河鹿』 筑摩書房 昭和33年
04841 井伏鱒二 著 『河鹿』 筑摩書房 昭和33年
04845 井伏鱒二 著 『木靴の山』 筑摩書房 昭和34年
04946 井伏鱒二 著 『珍品堂主人』 中央公論社 昭和34年
04639 井伏鱒二 著 『釣師・釣場』 新潮社 昭和35年
04555 井伏鱒二 著 『随筆集 昨日の會』 新潮社 昭和36年
04947 井伏鱒二 著 『随筆集 昨日の會』 新潮社 昭和36年
04948 井伏鱒二 著 『短編集 取材旅行』(初刊本) 新潮社 昭和36年
04949 井伏鱒二 著 『武州鉢形城』(初刊本) 新潮社 昭和38年
04638 井伏鱒二 著 『短編集 無心状』 新潮社 昭和38年
04950 井伏鱒二 著 『短編集 無心状』(初刊本) 新潮社 昭和38年
04843 井伏鱒二 著 『くるみが丘』 文芸春秋 昭和41年
03879 井伏鱒二 著 『黒い雨』 新潮社 昭和41年
04951 井伏鱒二 著 『随筆集 場面の效果』(初刊本) 大和書房 昭和41年
03880 井伏鱒二 著 『随筆 早稲田の森』 新潮社 昭和46年
04328 井伏鱒二 著 『井伏鱒二文学書誌』(初刊本) 永田書房 昭和47年
04952 井伏鱒二 著 『短編集 小黒坂の猪』 筑摩書房 昭和49年
04953 井伏鱒二 著 『随筆集 スガレ追ひ』(初刊本) 筑摩書房 昭和52年
03895 井伏鱒二 著 『海揚り』 新潮社 昭和56年
04630 井伏鱒二 著 『海揚り』 新潮社 昭和56年
03896 井伏鱒二 著 『荻窪風土記』 新潮社 昭和57年
04629 井伏鱒二 著 『荻窪風土記』 新潮社 昭和57年
04558 井伏鱒二 著 『定本 夜ふけと梅の花』 永田書房 昭和59年
04954 井伏鱒二 著 『随筆集 焼物雑記』(初刊本) 文化出版局 昭和60年
04856 井伏鱒二 編 『日本の名随筆 36 読』 作品社 昭和60年
04568 井伏鱒二 著 『鞆ノ津茶会記』 福武書店 昭和61年
04955 井伏鱒二 著 『岳麓点描』(初刊本) 彌生書房 昭和61年
04956 井伏鱒二 著 『太宰治』(初刊本) 筑摩書房 平成元年
04565 井伏鱒二 著 『文士の風貌』 福武書店 平成3年
04957 井伏鱒二 著 『随筆集 たらちね』(初刊本) 筑摩書房 平成4年
04567 井伏鱒二 著 『井伏鱒二対談集』 新潮社 平成5年
04557 井伏鱒二 著 『神屋宗湛の残した日記』 講談社 平成7年
02941 井伏鱒二 著 『井伏鱒二全集(全28巻、別2巻)』 筑摩書房 平成8年
04958 井伏鱒二 著 『徴用中のこと』(初刊本) 講談社 平成8年
04561 井伏鱒二 著 『文人の流儀』 角川春樹事務所 平成9年
04959 井伏鱒二ほか 著 『井伏鱒二全対談(上)』(初刊本) 筑摩書房 平成13年
04960 井伏鱒二ほか 著 『井伏鱒二全対談(下)』(初刊本) 筑摩書房 平成13年
04961 涌田佑 著 『私注・井伏鱒二』(初刊本) 明治書院 昭和56年
04642 涌田佑 著 『井伏鱒二の世界 小説の構造と成立』 集英社 昭和58年
04556 涌田佑 著 『図説・井伏鱒二−その人と作品の全貌−』 有峰書店新社 昭和60年
04962 萩原得司 著 『井伏鱒二 聞き書き』(初刊本) 潮出版社 昭和60年
04563 河盛好蔵 著 『井伏鱒二随聞』 新潮社 昭和61年
04559 小沼丹ほか 著 『群像 日本の作家16 井伏鱒二』 小学館 平成2年
03066 小学館 編 『サライ(第53号)井伏鱒二と日本の自然』 小学館 平成3年
04643 安岡章太郎 著 『安岡章太郎全集3 文学的交遊録』 岩波書店 平成3年
03023 朝日新聞社 編 『アサヒグラフ別冊 井伏鱒二の世界』 朝日新聞社 平成4年
04566 小沼丹 著 『清水町先生−井伏鱒二のこと』 筑摩書房 平成4年
04571 杉並区立郷土博物館 編 『阿佐ヶ谷界隈の文士展』 杉並区立郷土博物館 平成4年
04760 滋賀大国文 編 「井伏鱒二(清吟佳可医病−井伏鱒二と福山中学−)」滋賀大国文(第31号)コピー 滋賀大国文 編 平成5年
02965 新潮社 編 『新潮日本文学アルバム(46)井伏鱒二』 新潮社 平成6年
03131
西村幸夫
檀上浩二
『井伏鱒二の世界』 井伏鱒二追悼一周年事業実行委員会 平成6年
04404 大江健三郎 朗読 「井伏さんの祈りとリアリズム」 平成6年
04405 井伏鱒二・劇団民芸稲垣隆史 編著 CT「井伏鱒二作品朗読」 井伏鱒二追悼一周年事業実行委員会 平成6年
04123 井伏鱒二在所の会 編 『井伏鱒二文学碑除幕記念 井伏鱒二郷土風物誌』 井伏鱒二在所の会 平成7年
04709 東京法令出版(株) 編 『月刊国語教育(1995年8月号)』、カラーグラビア5頁、「『山椒魚』と井伏鱒二−ああ寒いほど独りぼっちだ−」 東京法令出版(株) 平成7年
04709 東京法令出版(株) 編 『月刊国語教育(1995年9月号)』、カラーグラビア5頁、「旧制福山中学と井伏文学−試練が培った文学の土壌−」 東京法令出版(株) 平成7年
04572 杉並区立郷土博物館 編 「井伏鱒二 杉並区立郷土博物館」 杉並区立郷土博物館 平成10年
03132 ふくやま文学館 編 『井伏文学のふるさと』 ふくやま文学館 平成12年
04222 井伏鱒二在所の会 編 『郷土風物詩 井伏鱒二の故郷・加茂」』(ビデオ) 井伏鱒二在所の会 平成12年
04560 飯田龍太ほか 著 『尊魚堂主人−井伏さんを偲ぶ』 筑摩書房 平成12年
05542 ふくやま文学館 編 『ふくやまの文学第1集 ふくやま文学館所蔵資料シリーズ 井伏鱒二著 南島風土記』 ふくやま文学館 平成12年
06585 ふくやま文学館 編 『井伏鱒二と交友した文学者たち−師・友人・弟子・後輩−』 ふくやま文学館 平成12年
02977 井伏鱒二文学研究会 編 『尊魚(第6号)井伏文学原資料特集』 井伏鱒二文学研究会 平成13年
04569 重松静馬 著 『重松日記』 筑摩書房 平成13年
04579 村上篤美 編 『井伏鱒二全集月報(上)』 方南読書クラブ 平成13年
04580 村上篤美 編 『井伏鱒二全集月報(下)』 方南読書クラブ 平成13年
05543 ふくやま文学館 編 『ふくやまの文学第2集 ふくやま文学館所蔵資料シリーズ 井伏鱒二著 丹下氏邸』 ふくやま文学館 平成13年
05544 ふくやま文学館 編 『ふくやまの文学第3集 ふくやま文学館所蔵資料シリーズ 井伏鱒二『詩集朝菜集』(三好達治)書入れ日記』 ふくやま文学館 平成14年
05558 松本健一 著 『地の記憶をあるく 盛岡・山陽道篇』 中央公論新社 平成14年
04124 井伏鱒二在所の会 編 『回想十年 鱒二忌記念誌 望郷の人 井伏鱒二』 井伏鱒二在所の会 平成15年
03013 井伏鱒二文学研究会 編 『尊魚(第8号)「黒い雨」資料特集』 井伏鱒二文学研究会 平成15年
05545 ふくやま文学館 編 『井伏鱒二没後十年記念 井伏文学の笑い』 ふくやま文学館 平成15年
03823 井伏鱒二文学研究会 編 『尊魚(第9号)井伏文学研究資料』 井伏鱒二文学研究会 平成16年
04562 大河内昭爾 著 『随筆 井伏家のうどん』 三月書房 平成16年
04564 藤谷千恵子 著 『井伏先生の書斎』 求龍堂 平成16年
05535 ふくやま文学館 編 『ふくやまの文学第5集 ふくやま文学館所蔵資料紹介−井伏鱒二・福原麟太郎・小山祐士・木下夕爾・村上菊一郎小伝−』 ふくやま文学館 平成16年
04172 井伏鱒二文学研究会 編 『尊魚(第10号)井伏文学研究資料』 井伏鱒二文学研究会 平成17年
05497 有沢真理子 編 『広島ええじゃん紀行 作家と歩く広島あの町この町』 木鶏書房 平成17年
04815 中国新聞社 編 『知っとる?ふくやま 検定試験/公式テキスト』 中国新聞社 平成19年
04872 村上篤美 編 『筑摩書房版全集月報にみる もうひとつの井伏鱒二像』 方南読書クラブ 平成20年
05536 ふくやま文学館 編 『ふくやま文学館開館十周年記念 福山地方の詩と童謡』 ふくやま文学館 平成21年
06527 ふくやま文学館 編 『ふくやま文学館所蔵資料シリーズ『福山の文学』第12集 井伏鱒二著「兼行寺の池」(後編)』 ふくやま文学館 平成22年
06528 ふくやま文学館 編 『井伏鱒二の<まげもの>T 龍馬の時代と井伏鱒二の歴史小説』 ふくやま文学館 平成22年
06701 東郷克美 編解題
日本近代文学館 編
「大正十三年前後の井伏鱒二資料」
『日本近代文学館年誌 資料探索6』
日本近代文学館 平成22年
06913
井伏鱒二
飯田龍太
『井伏鱒二 飯田龍太 往復書簡』 角川学芸出版 平成22年
06757 ふくやま文学館 編 『井伏鱒二−<釣り文学>への招待』 ふくやま文学館 平成23年
06758 加藤静允 編 『井伏鱒二書簡集翻刻版−細石・加藤静允宛−』 加藤静允 平成23年
06914 松本直治 著 『原発死[増補改訂版] 一人息子を奪われた父親の手記』 潮出版社 平成23年
06905 ふくやま文学館 編 『ふくやま文学館所蔵資料シリーズ『福山の文学』第15集 井伏鱒二「「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩をして私は用語について煩悶すること」自筆原稿及び全集未収録自筆原稿三編』 ふくやま文学館 平成25年
07112
岩村俊哉  作画
大場俊一  シナリオ構成
『まんが「福山を知ローゼ」第2集 まんが物語 井伏鱒二』 福山市 平成26年


探しています
氏 名 名   称 制作/発行 日 付
井伏鱒二 著 『仕事部屋』 春陽堂 昭和6年
井伏鱒二 著 『川』 江川書房 昭和7年
井伏鱒二 著 『随筆 田園記』 作品社 昭和9年
井伏鱒二 著 『頓生菩提』 竹村書房 昭和10年
井伏鱒二 著 『随筆集 肩車』 野田書房 昭和11年
井伏鱒二 著 『鶏肋集』 竹村書房 昭和11年
井伏鱒二 著 『随筆集 静夜思』 三笠書房 昭和11年
井伏鱒二 著 『集金旅行』 版画荘 昭和12年
井伏鱒二 著 『山川草木』 勇風館書房 昭和12年
井伏鱒二 著 『オロシヤ船』 金星堂 昭和14年
井伏鱒二 著 『創元選書 川と谷間』 創元社 昭和14年
井伏鱒二 著 『禁札』 竹村書房 昭和14年
井伏鱒二 著 『蛍合戦』 金星堂 昭和14年
井伏鱒二 著 『一路平安』 今日の問題社 昭和15年
井伏鱒二 著 『鸚鵡』 河出書房 昭和15年
井伏鱒二 著 『シグレ島叙景』 実業之日本社 昭和16年
井伏鱒二 著 『山の宿 随筆全集第二巻井伏鱒二』 春陽堂書店 昭和16年
井伏鱒二 著 『花の町』 文芸春秋社 昭和18年
井伏鱒二 著 『十年 書下し創作集』 二見書房 昭和18年
井伏鱒二 著 『侘助』 鎌倉文庫 昭和21年
井伏鱒二 著 『追剥の話』 昭森社 昭和22年
井伏鱒二 著 『随筆 夏の狐』 三島書房 昭和22年
井伏鱒二 著 『貸間あり』 鎌倉文庫 昭和23年
井伏鱒二 著 『引越やつれ』 六興出版部 昭和23年
井伏鱒二 著 『かんざし』 近代出版社 昭和24年
井伏鱒二 著 『遥拝隊長』 改造社 昭和26年
井伏鱒二 著 『厄除け詩集』 木馬社 昭和27年
井伏鱒二 著 『ドリトル先生航海記 世界名作全集』 講談社 昭和27年
井伏鱒二 著 『随筆集 点滴』 要書房 昭和28年
井伏鱒二 著 『源太が手紙』 筑摩書房 昭和31年
井伏鱒二 著 『随筆 釣人』 新潮社 昭和45年
井伏鱒二 著 『定本 侘助』 青蛾書房 昭和45年
井伏鱒二 著 『現代日本のエッセイ 人と人影』 毎日新聞社 昭和47年
井伏鱒二 著 『天井裏の隠匿物』 槐書房 昭和49年
井伏鱒二 著 『井伏鱒二自選集』 集英社 昭和53年
磯貝英夫 編 『井伏鱒二研究』 渓水社 昭和59年
長谷川泉 編 『井伏鱒二研究』 明治書院 平成3年
河盛好蔵 編 『井伏さんの横顔』 弥生書房 平成5年


出典1:『アサヒグラフ別冊 井伏鱒二の世界』、朝日新聞社編刊、平成4年
出典2:『新潮日本文学アルバム(46)井伏鱒二』、新潮社編刊、平成6年
出典3:『井伏鱒二の世界』、西村幸夫・檀上浩二著、井伏鱒二追悼一周年事業実行委員会刊、1994年11月9日
出典4:『誠之館同窓会会報(第2号)』、23頁、「旧制福山中学と「山椒魚」−試練が培った井伏文学の土壌−」、古田博保、福山誠之館同窓会編刊、1995年5月14日
出典5:『国史大辞典1』、779頁、吉川弘文館編刊、昭和54年3月1日
出典6:『新編「福山いしぶみ散歩」』、124頁、「井伏鱒二詩碑」、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1996年9月1日
関連情報1:HP「==井伏鱒二:荻窪風土記:阿佐ヶ谷文士==」
2005年1月21日更新:経歴の一部・享年を追加●2005年1月24日更新●2005年4月19日更新:経歴・本文・出典・関連情報●2005年5月23日更新:所蔵品●2005年5月24日更新:経歴・本文・出典●2005年11月8日更新:関連情報●2005年12月15日更新:所蔵品●2006年6月9日更新:タイトル・所蔵品●2007年9月7日更新:氏名・経歴●2008年1月25日更新:経歴・本文・誠之館所蔵品●2008年3月27日更新:誠之館所蔵品・関連情報●2008年6月27日更新:誠之館所蔵品●2009年5月26日更新:氏名・経歴●2009年8月3日更新:写真・誠之館所蔵品・出典●2009年10月6日更新:誠之館所蔵品●2009年11月19日更新:誠之館所蔵品●2009年11月25日更新:レイアウト・本文・誠之館所蔵品●2009年12月16日更新:誠之館所蔵品●2010年7月23日更新:誠之館所蔵品●2010年9月1日更新:探しています●2010年9月15日更新:誠之館所蔵品●2011年2月14日更新:誠之館所蔵品・探しています●2011年9月1日更新:誠之館所蔵品●2011年9月15日更新:経歴・本文●2011年9月20日更新:経歴●2011年9月29日更新:誠之館所蔵品●2012年3月12日更新:本文・出典●2012年6月21日更新:誠之館所蔵品●2014年3月15日更新:誠之館所蔵品●2014年3月19日更新:誠之館所蔵品●2015年2月5日更新:誠之館所蔵品展示品●