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医師、漢詩人 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:明治21年(1888年)1月10日、広島県福山・深津町(現福山市宝町)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:昭和44年(1969年)3月19日、享年82歳、旭町光明寺に葬る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
福山の刀圭界に学理と臨床とともに、その極致を究めた最長老として尊敬されるのが、この平川病院長平川武三郎氏である。 明治21年(1888年)1月10日、福山市深津町平川良坪(鴨里)氏の3男として生れ、誠之館中学校、京都第三高等学校を経て、大正3年(1914年)9月九州帝国大学医学部卒業。 専ら耳鼻咽喉科の学理研究に精進し、犬正9年(1920年)満洲に渡り奉天南満医学堂に教授として迎えられる。 そして大正12年(1923年)、学位論文「灯用瓦斯に因る聴器病変に関する実験的研究」を提出、医学博士の学位を受けている。 福山市に帰省したのは昭和2年(1927年)で、開業医として新しい生活に入った。 昭和26年(1951年)には平川病院に改称し、昭和40年(1965年)ごろには長男平川一義氏に病院長を譲った。 その間、昭和6年(1931年)以来、引続き福山市医師会副会長、理事などを歴任された。 医業のかたわら殊に漢学について造詣が深く、甬里(ようり)と号して漢詩をつくる。 旧作ながらと前提して、氏の心境はこの作中に示されているとして渡された漢詩一篇。 街中陋巷一庸医 役役浮生多嘆噫 利走名奔非所冀 欲令詩酒伴刀匙 著書に『甬里詩稿』(昭和39年刊)、『続甬里詩稿』(昭和45年刊)がある。 また父親である平川鴨里翁の『鴨里耋餘詩文』を上梓した。 住所:福山市天神町、平川病院は福山市府中町。 趣味は読書、漢詩、絵画、写真、旅行、庭作り。 (出典1)(出典2) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
03059 | 平川武三郎 著 平川一義 編 |
『続甬里詩稿』 | 平川一義 | 昭和45年 |
出典1:『政治産業文化備後綜合名鑑(郷土を創った人々)』、22頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和35年6月 出典2:『続甬里詩稿』、平川武三郎著、平川一義編刊、昭和45年5月25日 |
2005年8月2日更新:レイアウト●2006年6月16日更新:タイトル●2006年7月27日更新:経歴・所蔵品●2007年12月25日更新:氏名・経歴・本文・誠之館所蔵品●2009年8月19日更新:経歴・誠之館所蔵品・出典● |