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医 師 | |||||||||
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経 歴 | |||||||||||||||||||||||||||
生:文政10年(1827年) | |||||||||||||||||||||||||||
没:明治42年(1909年)、享年83歳、安楽寺に葬る | |||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
名は退介、字は季慎、通称は虚舟、長翁・一百九翁と号した。 福山藩士・早間重則の子。兄は半三郎で、その子をヒデヲといった。 天保9年(1838年)、11歳にして江木鰐水に儒学を学ぶ。 さらに弘化2年(1845年)、18歳のとき大阪に遊んで後藤松陰にも儒学を学ぶ。 京都において、百々鳩窓に学び、さらに弘化3年(1846年)に江戸において昌平黌に入って、頼支峰、片山冲堂らと同窓であった。 大阪にいたとき、緒方洪庵に胸痛を診察してもらってから半年の療養をとおして、医を志したという。 のち東北地方を漫遊し、嘉永4年(1851年)に福山へ帰った。 さらには藩の命により長崎に行き、蘭学と砲術を学んだ。 福山においては、医をもって一家を成した。 明治元年(1868年)、福山病院の医官となり、廃藩後病院が解散した後は、開業した。 余暇に詩賦を楽しんだ。 もと中学校(誠之館)前に住し、のちに東町に住んだという。 明治42年(1909年)没、享年83歳。安楽寺に葬る。 著書に『虚舟遺稿(1巻)』がある。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
01505 | 早間虚舟 著 | 『虚舟遺稿(1巻)』 | 早間謙介 | 大正4年 |
出典1:『虚舟遺稿』、早間退介著、早間謙介編刊、大正4年7月12日 出典2:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、89頁、福山市立福山城博物館編刊、平成8年4月6日 出展3:『福山藩の文人誌』、212頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会刊、昭和63年7月27日 出典4:『郷賢録』、19頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日 |
2010年9月16日追加●2010年9月17日更新:出典● |