福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
羽田桂舟
はねだ・けいしゅう
日本画家
羽田桂舟 (出典1)


経 歴
生:元治元年(1864年)、福山胡町生まれ
没:昭和14年(1939年)12月8日、享年76歳、東町寂円寺に葬る、のち光善寺に改葬
藤井松林に師事
明治19年(1886年)ごろ 22歳ごろ 大分県竹田の南画家渕野桂僊に学ぶ
明治21年(1888年) 24歳 大阪に行く
京都の鈴木松年にも学ぶ
明治42年(1909年) 46歳 福山に帰り画業に勤しむ


生い立ちと学業、業績
元治元年(1864年)、福山胡町に生れる。生家は素封家岩田屋。名は義賢、英松、字は子斎。居所を木犀園と呼んだ。

幼少時より藤井松林に師事し円山派の画を学んだ。
また文を
門田重長、松岡蘆堤などに学んだ。
明治19年(1886年)ごろ、大分県竹田の渕野桂僊が福山に在住中に南画を学んだ。
桂僊は田能村竹田の師である樫園の直系にあたる。
のち明治21年大阪に行き、京都の鈴木松年にも学び、四条派の中川蘆月とも親交があった。
明治42年(1909年)、46歳の時福山に帰り、画業に勤しむ。

画風としては、円山派の技巧に南画の気韻をもたせ、温雅清健の定評があった。
特に花鳥画を得意とし、「百花百鳥図」、「花卉混合図」をはじめ多くの傑作を残す。

昭和14年(1939年)12月8日、76歳で没す。
福山市東町寂円寺に葬る、のち光善寺に改葬。

嫡子はなく、門下として長谷川香苔、松本芳洲などがいる。

長兄の小松暁雨は俳諧に長じていて福山風雅堂七世宗匠を名乗った。
次兄の悟堂翁は画名が高い。


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
05114 羽田桂舟 画 扇面図「鶯図」
05331 羽田桂舟 画 日本画「神林日之出」
t0340 羽田桂舟 画 日本画「双鶏図」
04143 羽田桂舟 画 「秋溪山水図」(複製)
04144 羽田桂舟 画 「雨中牡丹小禽図」(複製)
04145 羽田桂舟 画 「老松山水図」(複製)


出典1:『羽田桂舟 昭和五十七年秋季特別展−福山の生んだ日本画家−』、福山市立福山城博物館編刊、昭和57年10月9日
出典2:『備後先覚者名鑑(郷土を創った人々)』、17頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、昭和35年6月
出典3:『平成5年度春季特別展 福山の日本画展』、73頁ほか、福山市立福山城博物館編刊、平成5年4月3日
2008年9月12日追加●2008年9月18日更新:経歴・本文●2008年9月25日更新:誠之館所蔵品●2009年2月19日更新:誠之館所蔵品●2010年3月2日更新:氏名・写真・出典●2010年6月8日更新:誠之館所蔵品●