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誠之館文章寮掛 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:文政8年(1825年)9月13日、備後国深津郡福山東町生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:大正5年(1916年)4月東京で没、享年92歳、福山吉津町長正寺に葬る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
名は源吉、諱は王臣、字は以寧、通称章吉、号は箕山のち猶賢。福山藩士浜野徳蔵の子として、文政8年(1825年)9月13日、備後国深津郡福山東町生まれる。福山藩士。 12~3歳のころ渡辺橘南に学び、また17歳より広島藩儒坂井虎山に学ぶ。 虎山はその才を愛し養って自分の嗣子にしたかったが、福山藩がそれを許さなかった。 その後、津藩有造館に遊学して、斉藤拙堂、土井贅牙について研修した。 阿部正弘が津藩主に章吉の教育を依頼しているのは、その才を高く買っていたしるしである。 嘉永初年、津より上書して、藩校教育の革新を提言したのが誠之館創設の一契機となった。 嘉永6年(1853年)、ペリー来航によって海内の議論が沸騰すると、津から江戸へ急行して正弘に建議し、正弘からその篤志を賞せられている。 安政3年(1856年)、初出仕して、誠之館文章寮の掛に任命された。 安政5年(1858年)、文章寮廃止に伴い、退いて家塾で教授した。 文久3年(1863年)、阿部正方に従って、山城八幡の警備にあたり、その後京坂地方や諸藩の間に奔走して外交のことにあたった。 慶応3年、幕府は大政を奉還した。 阿部氏は徳川氏の譜代の親藩であった。 箕山は憂うるところあり、京より駈せ帰り、藩内において大いに大義名分の論をはった。 徳川は、自ら朝廷の臣となった。 もはや阿部氏も列侯でも陪臣でもない。朝廷の臣である。 幕府を援け朝廷に抵抗する根拠はないと。 論議百出の末、やや賛成が多く、遂に藩の方針が下された。 明治元年長州が福山を攻撃してきたが、向背一決、戦いをさけて平和裡に解決した。 箕山はこの交渉に大いに貢献した。 明治元年(1868年)12月27日督事に任じ、督事兼文学教授、さらに翌明治2年(1869年)10月、福山藩少参事文武校担当に任ぜられ、その献策によって誠之館教育の改革や、誠之館支校の建設にあたった。 誠之館の教育改革に尽力した功績は多大である。 廃藩後は、明治4年(1871年)12月5日深津県九等出仕、明治5年(1872年)6月10日小田県権典事、明治6年(1873年)8月18日小田県大属に任命された。 その後、明治8年(1875年)に千葉県属に、明治15年(1882年)に内務属に転じて地誌編輯をおこなう。 明治19年(1886年)には非務となったが、明治25年(1892年)第二高等学校教授に、明治30年(1897年)には嘱託として陸軍幼年学校に勤務するが、明治32年(1899年)には解職された。 その後は京都で余生を楽しんでいた。 左手で左文字を書くのに妙であったという。 『懐旧紀事 阿部伊勢守事蹟』は著名である。 明治19年(1886年)2月15日、福山市丸之内1丁目(赤門の内側)にある「捨生取義の碑」を撰す。 明治26年(1893年)10月、福山市今津町薬師寺境内の「傾山三吉先生之墓」、「冠山三吉先生之墓」の墓碑を撰す。 大正5年(1916年)没、享年92歳。福山吉津町長正寺に葬る。 |
誠之館所蔵品展示品 | ||||
管理№ | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
06696 | 濱野章吉 書 | 袱紗和歌 「桃の咲く」 | - | 大正2年 |
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06691 | 阿部正精 書 | 扁額「攢雲亭」 | - | - |
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03929 | 濱野章吉 著 | 『懐旧紀事 阿部伊勢守事蹟』 | 吉川半七 | 明治32年 |
06693 | 濱野章吉 著 | 『猷賢憶測』 | 宮内黙蔵 | 明治36年 |
06694 | 濱野章吉 著 | 『箕山文稿』 | 宮内黙蔵 | 明治36年 |
06695 | 濱野章吉 著 | 『猷賢左書』 | 濱野章吉 | 明治41年 |
06692 | 濱野章吉 著 | 『猷賢左書説 米寿記念刊刻』 | 濱野章吉 | 明治45年 |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
04692 | 宮内黙蔵 撰 | 「蓑山濱野先生行實」 | - | 明治44年 |
探しています | ||||
氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 | コメント |
濱野章吉 著 | 『猶賢存稿』 | - | - | - |
出典1:『福山藩の教育と沿革史』、1・158頁、清水久人著、鷹の羽会本部阿部正弘公顕彰会編刊、1999年8月20日 出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、107・502頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日 出典3:『近世後期の福山藩の学問と文芸』、89頁、福山市立福山城博物館編刊、1996年4月6日 出典4:『郷賢録』、28頁、福田禄太郎著、福山城博物館友の会編刊、平成12年10月1日 出典5:『福山藩の文人誌』、115頁、濱本鶴賓著、葦陽文化研究会編刊、1988年7月27日 出典6:「箕山濱野先生行實」、宮内黙蔵、明治44年4月 出典7:『福山の今昔』、176頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日 出典8:『福山いしぶみ散歩』、20頁、「大成館中学校」、佐野恒男著、福山文化財協会刊、1993年5月12日 出典9:『福山いしぶみ散歩』、137頁、「捨生取義の碑」、佐野恒男著、福山文化財協会刊、1993年5月12日 |
2005年3月2日更新:著書●2005年3月31日更新:本文●2006年3月14日更新:所蔵品・著書●2006年3月16日更新:写真●2007年2月5日更新:経歴・本文●2008年11月20日更新:氏名●2009年2月26日更新:本文●2010年3月11日更新:著書(削除)・探しています●2010年4月1日更新:経歴・探しています・出典●2010年12月2日更新:誠之館所蔵品展示品●2011年3月22日更新:誠之館所蔵品展示品・探しています●2011年3月23日更新:誠之館所蔵品展示品●2011年4月14日更新:誠之館所蔵品展示品●2012年2月14日更新:本文・出典●2012年2月17日更新:本文・出典●2015年1月8日更新:誠之館所蔵品展示品● |