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画 家 | |||||||||
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経 歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:元治元年(1864年)8月7日、下総国猿島郡沓掛村(現茨城県坂東市)生まれ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:昭和18年(1943年)1月9日、東京都淀橋区戸塚町(新宿区)で没、享年80歳、専心寺に葬る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
五姓田芳柳には、初世と二世がある。 二世芳柳は下総国(茨城県)の出身。 旧名は倉持子之吉、通称芳雄。 明治11年(1878年)上京して、五姓田義松(初世芳柳の二男)に師事し、明治18年(1885年)には、芳柳の養子となり二世芳柳を名乗った。 ワーグマン≪英人美術通信員・文久元年(1861年)〜明治24年(1891年)在日≫に師事し、さらに明治14年(1881年)頃から工部美術学校のサン・ジャパンニ、カッペレッティなどの教えも受けている。 明治22年(1889年)明治美術会の創立会員となり、同会解散後の明治35年(1902年)には、巴会の結成に参加しその創立会員となる。 福山関係では、「阿部正弘公肖像画」のほかに、小林義直の要請により寺地強平の肖像画も画いたらしいが、今その所在は明らかでない。 明治33年(1900年)のパリの万国博には作品を出品した。 さらに明治43年(1910年)の日英博覧会の際は、渡英してジオラマ(背景画の前に立体模型を置く見せ物)を描いた。 後年は歴史風俗画を多く描いている。 初世芳柳<文政10年(1827年)〜明治25年(1892年)>は浮世絵および狩野派から出発し、これにオランダ風の手法を加え、西洋風の画法を独創したという。 (出典2) |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
00019 | 五姓田芳柳 画 | 油彩画「阿部正弘公肖像画」 | − | 明治30年ごろ |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
05401 | 神奈川県立歴史博物館・岡山県立美術館 編 | 『特別展五姓田のすべて−近代絵画への架け橋−』 | 神奈川県立歴史博物館・岡山県立美術館 | 平成20年 |
07271 | 福山城博物館 編 | 『福山阿部家展−受け継がれた武家資料−』 | 福山城博物館 | 平成27年 |
出典1:『特別展五姓田のすべて−近代絵画への架け橋−』、神奈川県立歴史博物館・岡山県立美術館編刊、平成20年8月8日 出典2:『誠之館記念館所蔵品図録』、58頁、福山誠之館同窓会編刊、平成5年5月23日 |
2005年6月15日更新:レイアウト●2006年6月23日更新:タイトル・所蔵品●2007年6月12日更新:本文●2008年1月15日更新:経歴●2008年10月28日更新:経歴・本文●2008年10月29日更新:本文●2009年4月3日更新:経歴・誠之館所蔵品●2009年8月19日更新:写真・経歴●2009年8月20日更新:誠之館所蔵品●2015年12月8日更新:レイアウト・誠之館所蔵品● |