福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
古田博保
雅号
古田杜峰
ふるた・ひろやす ふるた・とほう
福山誠之館校長(第29代)
古田博保(古田杜峰)


経 歴
生:昭和11年(1936年)10月10日、広島県賀茂郡黒瀬町(現東広島市黒瀬町)上保田450生まれ
没:平成28年(2016年)2月27日、享年81歳
昭和30年(1955年) 18歳 広島県立広高等学校卒業
昭和34年(1959年) 22歳 広島大学教育学部国語科卒業
昭和34年(1959年)11月 23歳 広島県立広高等学校教諭
昭和38年(1963年)4月1日〜
 昭和54年(1979年)3月31日
26〜
42歳
広島県立呉三津田高等学校教諭
昭和50年(1975年)5月 38歳 中国新聞昭和50年記念懸賞論文特選
昭和52年(1977年)3月 40歳 日本経済新聞百周年記念懸賞論文入選
昭和60年(1985年)4月 48歳 広島県立教育センター第一研修部長
昭和62年(1987年)4月 50歳 広島県立広高等学校教頭
平成元年(1989年)4月1日〜
 平成4年(1992年)3月31日
52〜
55歳
広島県立神辺旭高等学校校長
平成4年(1992年)4月1日〜
 平成7年(1995年)3月31日
55〜
58歳
広島県立福山誠之館高等学校校長(第29代)
平成7年(1995年)4月1日 58歳 広島県立安芸南高等学校校長
平成8年(1996年)4月 59歳 広島県公立学校長協会会長
平成8年(1996年)4月 59歳 広島県高校文芸連盟会長
平成8年(1996年)11月 60歳 教育功労文部大臣表彰
平成9年(1997年)4月 60歳 穴吹コンピュータ専門学校及び国際ビジネス専門学校校長
平成18年(2006年)秋 70歳 瑞宝小綬章
広島県県社会教育委員
広島県高体連顧問
広島県立福祉大学参与
広島市立大学運営協議会委員
NHK文化センター講師(併任)
中国新聞情報文化センター講師(併任)
広島女学院大学講師(併任)


「清々百歳誠之夢」   古田博保(古田杜峰)

神辺旭高校三年間の単身赴任の後、県教委より「今誠之館が変われば、広島県教育全体が変わる。そのためには、君をおいて人材はない」などとおだてられ、平成四年四月本気で私は再び単身赴任生活に入りました。当時の日記に「初出勤。校長室に入ってピックリ。ドアにバネがない。バタンという大きな音。小林和作などの油絵、円鍔勝三などの彫刻がアンバランスに置かれている。ところどころ壁を修復した跡がある」と記しています。六日の始業式では「本校へ来た第一印象は、桜がきれい。トイレがきたない。百四十年の伝統ある学校に、いぶし銀の輝きを」と、開口一番叫んだのを思い出します。

文武両道のバランスのとれた教育をというのが私の掲げた目標でした。先輩の赫々たる進路実績に比べれば低迷著しく、同窓会から現生徒が見離される気配を痛感し、夏の同窓会総会の席で、「出来の悪い兄弟こそ可愛いものです。どうぞ現生徒に声援を送ってやってください」とお願いしたものです。

入学式では、懸案の日の丸を初めて掲揚しました。先輩校長のこれまでのご尽力、同窓会・PTAの支援、教職員の皆様の良識ある行動のお陰と思っています。

同窓会のご支援には、赴任早々から有難さを痛感しました。折しも、野球部創部百年の記念行事が盛大に行われ、引続いて、ラグビー部が三十六年ぶり花園出場の快挙をなしとげ、その支援カンパのパワーにはほとほと感服しました。PTA活動も活発で、翌年、全国表彰の栄に輝かれました。私の校長としての仕事は勢いに乗り、文武両道の基盤となるセミナーハウスの誘致にも成功しました。

野球部百年記念詩ラグビー花園出場祝詩PTA全国表彰祝詩セミナーハウス落成祝詩の七言絶句を今も校長室等に掲げていただいていますが、私の三年間の足跡を思い出すよすがとして、今も懐かしく思い出しています。   (出典1)


退任にあたり  古田博保

桜花喧喧たる福山誠之館高校の坂道を、課題意識をいだいて登ったのが三年前でした。野球部百年記念、ラグビー花園出場、PTA全国表彰と立てつづけに大きな行事が続き、その都度ノートに書き残した拙い漢詩が、あわただしく過ぎた歳月を思い出させます。

その間、常に私の脳裏にあったものは、新しい誠之館創造の夢と、その実現が教育県ひろしまの再建につながるという思いでした。父と母をこの三年の間に相次いで亡くした私を、帰省させようという県人事行政の配慮でしょうか、この度、備後から安芸へ転勤を命じられました。課題を残したまま去っていくことを大変心苦しく思っております。

新しい任地安芸南高校は、美しい学校環境に恵まれ、地域の信頼が急激に高まってきている学校です。神辺旭高校長時代から通算すれば六年、福山の思い出ははかり知れません。その思い出という名の荷物を車に積みこみ、山陽道を走らせ、備後から安芸へのトンネルを出た時、思わず「さらばラバウルよ」の歌が口をついていました。これは、同窓会副会長で誠之館の校医でもある
石井淳さんが、二次会などで必ずと言っていいほど好んで愛唱されていた歌でした。「さらば福山よ!」と替え歌にして口づさみながら、わけもなく目頭が熱くなっていく自分をどうすることもできませんでした。

先年亡くなられた誠之館同窓生の
井伏鱒二さんは、「勧酒」を「このさかづきをうけてくれ、どうぞなみなみつがしておくれ、はなにあらしのたとへもあるぞ、さよならだけが人生だ」と名訳しておられます。今はじめてこの詩が理解できたような気がいたします。

私のような者が、誠之館高校長を三年間無事勤めあげることができましたのは、ひとえに同窓会諸賢のお陰であったと、ここにあらためてお礼申上げるとともに、誠之館同窓会ならびに誠之館高校のますますのご発展を祈念申し上げ、退任のご挨拶といたします。
   (出典2)


誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
03289 古田杜峰 作
三谷明
瀧川富夫
「祝 福山誠之館高等学校保護者会全国表彰」 平成4年
03290 古田杜峰 作
三谷明
「祝 福山誠之館野球部百年記念詩」 平成4年
03291 古田杜峰 作
三谷明
「祝 福山誠之館高校ラグビー部花園出場」 平成4年
04324 古田杜峰 作
三谷明
「セミナーハウス『誠友舘』落成祝詩」 平成8年
00327 古田杜峰 作
岩崎博
「福山誠之館創立百五十周年記念詩(征鳥出飛)」 平成15年
04625 古田杜峰 著
『古田杜峰の漢詩吟行』 古田杜峰 平成13年
04591 古田博保 著 『古田博保のやさしい漢詩旅行』 学事出版(株) 平成16〜18年
02142 古田杜峰 著 『漢詩集 福山春秋』
02144 古田杜峰 著 『校長歌日記抄 付漢詩三題』


出典1:『語りて栄光の歴史あり(誠之館同窓会報特別号)』、25頁、福山誠之館同窓会編刊、平成13年10月
出典2:『誠之館同窓会報(第2号)』、3頁、福山誠之館同窓会編刊、1995年5月14日
出典3:『あさひ(第3号) 創立10周年記念誌』、扉頁、広島県立神辺旭高等学校編刊、1989年11月9日
2004年11月29日更新:所蔵品●2004年11月30日更新:所蔵品●2005年2月1日更新:本文●2005年4月6日更新:本文●2005年8月3日更新:所蔵品●2006年3月28日更新:タイトル・本文●2006年5月17日更新:所蔵品・連絡先削除●2006年5月18日更新:経歴●2006年12月8日更新:経歴●2006年12月11日更新:所蔵品●2008年3月6日更新:経歴・本文・出典●2009年4月2日更新:経歴●2009年6月29日更新:誠之館所蔵品●2016年5月16日更新:経歴●