福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
福原麟太郎
ふくはら・りんたろう
東京教育大学教授、英文学者、随筆家、日本芸術院会員、文化功労者、福山市名誉市民
福原麟太郎


経 歴
生:明治27年(1894年)10月23日、広島県沼隈郡神村赤壁(現福山市宮前町赤壁)生まれ
没:昭和56年(1981年)1月18日、心筋梗塞、享年88歳、東京雑司ヶ谷霊園に葬る
松永高等小学校卒業
明治45年(1912年)3月12日 19歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
大正2年(1913年) 20歳 東京高等師範学校入学
大正6年(1917年) 24歳 東京高等師範学校卒業、研究科に残る
大正6年(1917年)10月 24歳 静岡中学教諭
大正7年(1918年)3月 25歳 東京高等師範学校研究科に戻る
大正9年(1920年)3月 27歳 東京高等師範学校研究科卒業
大正10年(1921年) 28歳 東京高等師範学校助教授
昭和4年(1929年)5月 36歳 文部省在外研究員として英国ロンドン大学、ケンブリッジ大学に留学
昭和6年(1931年) 38歳 留学から帰国
東京文理科大学助教授
昭和14年(1939年) 46歳 東京文理科大学教授
昭和30年(1955年)3月 62歳 東京教育大学、東京文理科大学を停年退職
共立女子大学文学芸術研究所教授、所長
「英文学を基礎とせる随筆一般」の分野での執筆活動
昭和35年(1960年) 67歳 第12回読売文学賞
昭和38年(1963年) 70歳 日本芸術院賞
昭和38年(1963年) 70歳 第15回読売文学賞
昭和39年(1964年) 71歳 日本芸術院会員
昭和43年(1968年) 75歳 文化功労者表彰
昭和51年(1976年)10月5日 83歳 福山市名誉市民


「福原麟太郎---『われ愚人を愛す』」   (『誠之館百三十年史(上巻)より)
明治27年(1894年)10月23日、沼隈郡神村赤壁に、当時松永高等小学校々長をしていた福原甚之助を父として生まれた。
松永高小2年修了から、明治40年(1907年)4月(14才)、県立福山中学校(誠之館)に入学した。
中学時代の成績について、自筆年譜『福原麟太郎随想全集(第8巻)』には、「体操がもっとも不得手。
4年生の時、竿飛びをしていて右手首を折る。
4番以上に上りしことなし。
4、5年の頃、岡山第六高等学校にて中学雄弁大会あり。
それに出されたのが唯一の特筆すべき事件であった。
その頃雄弁ということが流行し、先輩、
丸山鶴吉氏、森戸辰男氏などのあとをついて回り、崇拝した。
徳富廬花・大町桂月・北原白秋などを愛読す。」とあるが、これはいささか謙虚にすぎたことばであろう。河盛好蔵『
井伏鱒二随聞』にはつぎのような問答がある。
「河盛『井伏さんがはいられたときは福原先生は入れ違いですか』。
井伏『もう卒業されて、高等師範・・・あのころ僕たちのほうでは、秀才というのは高等師範ヘ行ったんです。僕は上級生たちから、この学校には福原の麟さんという秀才がいたという話を聞かされました。だから福原の麟さんという名前だけは中学時代からよく知っていた』。
河盛『福原先生のお話によりますと、井伏さんも秀才だったそうですよ』。
井伏『いや、それは大きな大きな大間違いです。・・・』」


また同書中には、福原・井伏を評した河上徹太郎の、つぎのようなことばが紹介されている。
「このお二人は《実に似たものがある。その見かけ以上の人情の深さ、必要以上のはにかみ性と、その結果受動的に鋭く働く感受性に至るまで》・・・」(同上書所収「作品ノート」)。

ほぼ同時代に福山中学で学んだ二人の文学者の中に、共通して見られるこのような気質は、備後地方の温和な風土と、誠之館伝統教育の土壌から、おのずと生い出たものと思われる。

文章をもって全校に鳴るようになったきっかけは、3年生の時、校友会雑誌『誠之(第15号)』に発表した「山野(やまの)の夏」であった。
これは生涯の友、深安郡山野村の級友
島谷真三氏の家をたずね、8日間滞在した際の印象を、和文、約1500字にまとめたものである。
自然描写の素直さと、文章の美しさは抜群のものがあった。
また同級の友とつくった文芸グループを紅会(くれないかい)と名づけ、回覧誌『五彩』というものを出した。
その同人には、中島光磨・
藤野恵・山崎善四郎・井上明夫・山守志郎などがいた。

氏の人格形成上、もっとも大きな役割りを演じたものは、松永地方の福中生徒によって結成された「遺芳クラブ」の存在である。
これは氏が中学に入る前年の明治39年(1906年)秋、3名の生徒によって結成された。
その後、このクラブは、松永近辺の小学校出身者を中心に20〜30名の生徒が加盟をし、スポーツ(柔剣道・テニス・遠足・舟遊)・弁論会や機関紙発行などの行事を通じて、かたい友情のきずなを結ぶよすがとなったものである。
またこの会結成当初から激励援助を惜しまず、また後輩からも深く敬愛されたのがかの
丸山鶴吉氏であった。
遺芳クラブ弁論大会における福原の演題、
・「温きハートのさざめき」(4年)
・「学生弁論の独立」(5年)
・「運動に対する美観」(5年)
・「冷静なる第三者」(5年)
・「弱者の友に」(5年)
・「桜散る国の学生へ」(5年)
などを見れば、すでに、後年の『われ愚人を愛す』(昭和27年刊)というあたたかい人間観が、福原少年の胸に芽ばえつつあったことが看取されるのである。

卒業後、東京高師1年の時(大正3年2月9日付け)、母校に寄せた手紙に、
「小生は歌をうたふ事が好きなれば、学校(高師のこと)へ来て一番嬉しかったのは、初めて学校の歌を唱った時の様に覚え候。然し声がいいというわけでもなく節がうまいといふ訳にも無之候。ここにも師範学校気質といふものが矢張り有之候へども、失望致さぬ覚悟に御座候。『光栄ある』福山中学の卒業生だぞと頻りに威張って見度く存じ居り候」『誠之(第19号)』
といっているように、歌をうたうことも歌詞を作ることも好きであった。
その一つが、大正2年(1913年)6月、後輩へ贈った遺芳倶楽部々歌「新潮寄する暁の 遺芳の海に雲はれて……」であり、また今日まで80年近く母校生徒に歌いつがれてきた応援歌「陣鼓の響ときの声 寄せ来る敵の雄叫びや」である。
かくして氏の中学生時代は
「私の一生では、福山中学生徒の時代が一番得意であり、生活に誇りを持っていたように思う。」
と回想している通りの充実した学校生活であった。

大正2年(1913年)4月東京高師英語科入学、大正6年(1917年)高師卒業(24才)、研究科に残る。
大正6年(1917年)10月から静岡中学教諭となり同地に赴任、大正7年(1918年)3月再び研究科に帰る。
大正9年(1920年)3月研究科卒業。
爾後昭和30年(1955年)、東京教育大学・東京文理科大学を停年退職するまで、東洋大学をはじめ早稲田大学・慶応義塾大学・日本女子大学その他公私の大学への一時的出講はあっても、一貫して母校における研究・教授の生活が続けられた。
本務の英文学関係以外に、教養的随想の執筆は退官前も活発であったが、退官後は、共立女子大学文学芸術研究所教授をつとめつつ、「英文学を基礎とせる随筆一般」の分野での執筆活動が、目をみはるばかりの勢いで続けられた。
こうした業績への評価が、第12回読売文学賞(昭和35年)・日本芸術院賞(昭和38年)・第15回読売文学賞(昭和38年)・日本芸術院会員(昭和39年)・文化功労者表彰(昭和43年)となって輝いたのである。
福山市は、市制60周年を迎えた昭和51年(1976年)10月、さきの森戸辰男氏につづいて名誉市民の称号を贈り、市民の誇りとした。

昭和56年(1981年)1月18日、心筋硬そくにより永眠。享年88才であった。
(福原雛恵編『福原麟太郎追悼録』、『福山 風と土と人5』等による。)
    (出典2)
 昭和52年(1977年)11月、福山市山野町に「島谷先生碑」を撰んだ。


「福原先生と随筆」     和田辰國(昭和20(4)年卒業)
福原先生と「謡曲もよく一緒に唸り」、テニスも草野球も楽しんだ仲であった英文学者中野好夫氏は、「日本では、文学といえば小説ということになっているらしいが、福原さんの随筆は立派な文学である。福原さんを英文学者だなんて簡単に言わぬがよい。・・・・・・人間を好きな人にはかなわない」(『福原麟太郎著作集第五巻随筆T旅・人』の書評、昭和43年)と、ペンをもって一生を貫いてきた友人を称えている。

確かに、福原先生の随筆は、どの一篇もが珠玉であり、まとまりのある一つの文学作品だと言える。このことの片鱗を、随筆「四等学者」(『文芸春秋』、昭和30年5月号・31年9月号・32年1月号)によって伺ってみることにする。

先ず、英語の教師である先生は、家で下読みをして、やっとどうやら意味をこじつけて教室へ出る。優秀な学生がいて、それを質問をして訂正してくれればよいが、そうでない場合には、自分でこじつけた意味を学生に覚えさせてしまう。こんなごまかしを何度となくやってきた。全く後味が悪い。それよりも、もっとしばしば、誤訳をしてとっちめられるのが、何としても辛い、などと告白する。

そういう日には、先生は「欝々として」家へ帰ってきて、この心持を、久保田万太郎式の戯曲に綴って置いたらどうだろうと考える。その筋は今でもよく覚えていると、この随筆の中で、その粗筋が紹介される。

-----丸一太神楽の太夫である。正月の寄席へ出て太鼓のバチの曲芸をやるのだが、その日はどうも頭のスタビリティが悪くて、空に投げては受取り投げては受取るバチの、三本五本七本と数を増やしていく途中に、五本くらいのところで、しくじって落としてしまう。やり直す。又しくじる。そこで、うしろの太夫が良い加減のところでうまく口上を言い、つづめをつけて、引込ませる。

-----太夫はとぼとぼと家へ帰ってくる。送ってくる弟子にも余り口をきかない。家ヘ帰ると、一門のものどもが新年の挨拶にくる。親方はどうもご機嫌がわるそうだな、などと、みんなめいりこんで余り元気良く話もしない。先ず一こん、などと言っても、遠慮した酒の飲み方である。

-----おかみさんが、そのわけをさとる。わざと陽気にふるまって、みんな景気よくやっておくれよ、うちでも、今年は何代目を継ぐことになるんだからと、如才なく、親方のところへにじりよって、「さあ親方、ケンを打ちましょ」と挑む。親方も思い直して、よし来たと、ヤアホイ、ホイヤアと、夫婦、無理に機嫌をとりつくろって、ケンを打っているうちに、段々調子が早くなり、またすこしゆるくなる。

-----気がつくと、親方も、おかみさんも、泣いている。泣きながらケンを打っている。

かつて英語教師の末席に連なっていた私には、福原先生のこの心情がよく理解でき、この件を読むときは身につまされて、いつも粛然とした心持ちになる。先生の身の上話だとばかり思って読んでいると、存外、それは人間の運命の物語になっているのである。ここに福原先生の随筆の本質がある。そして中野氏をして立派な文学作品であると言わしめた所以を垣間見ることができる。それは、まるで短編小説や一幕物と似た性質を持っているものと言っても差支えないであろう。つまり、ただ漫然と書かれたものではなく、一つの効果をねらった文学作品を目指して書かれたものであることが分かる。

また、先生が47歳のときに書かれたものに、「エッセイについて」(『文藝』、昭和16年5月号)という文章がある。これは、一つの随筆作法の説といってよいものだが、その中で、エッセイ(随筆または小品)というのは、何はともあれ、「私の告白」であり、その場合、己をなくしてしまう工夫をしなければ、なんだ手前の話かと、攻撃される恐れがあると訴えている。そして「作者の肉体の臭いを出さないで、人間の臭いを嗅がせようというのが秘訣である」と、随筆の真髄は「人間的な興味」にあることを指摘している。更には、随筆は「年齢に限る」と主唱する。この世の苦労をさんざんしてきて、「人聞の面白さ」をわれとわが身の上に眺めるようにならなければ、到底、妙味のあるエッセイを書ける域にまで辿りつくことはできないと教えている。

人間を、このような視点から捉えていくと、誰でもわが身の内に暮らしている生身の人間というものの憐れさを次第にいとしむようになるが、この心情から、「人間は誰に限らず、ちっぽけな馬鹿、みんな裸になれば同じさという悟りである。まあお互いに威張るのはよして、どうやら衰えてきた囲炉裏の火に、仲よく手をかざしながら、浮世の話でもしようじゃないかということになる。ラムが、われ愚者を愛すと言ったのが解る。それは無常観である」という思想を引き出している。つまり、先生は、随筆には諸行無常という考え方が、その基底に流れていなければならないと考えられていたのである。

換言すれば、人間に関する興味を中心とした世間話ないしは身の上話であることが、随筆の何よりも重要な構成要素であるとされていたことが分かる。

福原先生がものされる随筆は、加齢とともに、次第にラム的なものへと接近していき、やがては、ラムをわが物とされ、遂には、イギリスの随筆文学の伝統に繋がる、いわゆる「福原随筆」と称されるものが完成されていくことになる。このことは、昭和38年5月に、受けられた日本芸術院賞が、「英文学を基盤とする随筆一般」を対象とLたものであったことからも十分に首肯できる。

生涯、神でも自然でもなく、常に人間に暖かい優しい心を注いでこられた先生は、名篇「叡智の文学」(『新潮』、昭和15年1月号)の中でも、随筆のことに触れ、それは「知識を書き残すことでなく、意見を吐露することでなく、叡智を人情の乳に溶かしてしたたらせることである。争うためでなく、仲よくするためである」と道破しておられる。ここに福原随筆の比類のない魅力があり、このような視点から、英文学の精髄である随筆を日本の風土に移し植え、根づかせられた功績は誠に大きいと言わなければならない。
    (出典1)


誠之館所蔵品・展示品(福原麟太郎・著作本など)
管理 著  者 書   籍   名 制作/発行 日 付 寄贈
05603 福原麟太郎 著 『英文学の輪郭(初版)』 研究社 大正12年 沖元
05604 福原麟太郎 著 『詩心巡礼 バイロンほか二詩人の研究』 研究社 大正13年 沖元
05605 福原麟太郎 著 『近代の英文学』 研究社 大正15年 沖元
05606 福原麟太郎 著 『英文学を如何に読むか』 研究社 昭和2年 沖元
05607 福原麟太郎 著 『英文学の輪郭(第5版)』 研究社 昭和2年 沖元
05425 福原麟太郎 著 『研究社英米文学評伝叢書(15) CONGREVE(コングルーヴ)』 研究社 昭和8年 藤井
05426 福原麟太郎 著 『岩波講座世界文学(第7回配本) 英文学に現われたる諷刺とヒウモア(ユーモア)』 岩波書店 昭和8年 藤井
05608 福原麟太郎 著 『メリ・イングランド』 文教閣 昭和9年 沖元
05609 福原麟太郎 著 『英語文法講座(第12回配本)英文学研究法』 英語英文学刊行会 昭和9年 沖元
03207 福原麟太郎 著 『春興倫敦子』 研究社 昭和10年 村上
05610 福原麟太郎 著 『春興倫敦子』 研究社 昭和10年 沖元
05611 福原麟太郎 著 『英語教育叢書 風物知識』 研究社 昭和11年 沖元
06839 福原麟太郎 述 『鏡山先生傳(父の憶ひ出)』(コピー) 福原麟太郎 昭和12年 高橋
04988 福原麟太郎 著 『研究社英米文学語学講座 英国随筆史』 研究社 昭和15年 草原
05612 福原麟太郎 著 『叡智の文学』 研究社 昭和15年 沖元
05613 福原麟太郎 著 『新しい家』 研究社 昭和17年 沖元
05614 福原麟太郎 著 『英米に於ける英文学研究』 研究社 昭和19年 沖元
04986 福原麟太郎 著 『英語を学ぶ人々の為に(発音と綴字から)』 研究社 昭和21年 草原
05615 福原麟太郎 著 『英語を学ぶ人々の為に(発音と綴字から)』 研究社 昭和21年 沖元
05617 福原麟太郎 著 『日本叢書51 日本の英学』 生活社 昭和21年 沖元
05618 福原麟太郎 著 『文学の世界』 河出書房 昭和21年 沖元
04427 福原麟太郎 著 『英語教育論』 研究社 昭和23年 天野
05619 福原麟太郎 著 『英文学旅程』 玄理社 昭和23年 沖元
05621 福原麟太郎 著 『英文学六講』 金子書房 昭和25年 沖元
05622 福原麟太郎 著 『市民文庫26 英文学入門』 河出書房 昭和26年 沖元
05623 福原麟太郎 著 『市民文庫38 イギリス抒情詩集』[石井正之助共訳] 河出書房 昭和26年 沖元
05229 福原麟太郎 著 『随筆集 猫』 寶文館 昭和26年 村上
05624 福原麟太郎 著 『朝日新講座 英文学』 朝日新聞社 昭和26年 沖元
04429 福原麟太郎 著 『英文学の周辺』 法政大学出版局 昭和27年 天野
04428 福原麟太郎 著 『英文学研究法』 新月社 昭和27年 天野
04430 福原麟太郎 著 『われ愚人を愛す』 文芸春秋新社 昭和27年 天野
05508 福原麟太郎 著 『研究社国語新辞典』 研究社辞書部 昭和27年 草原
05625 福原麟太郎 著 『市民文庫1005 イギリス短編集』 河出書房 昭和28年 沖元
04486 福原麟太郎 著 『英国近代散文集』 研究社出版 昭和28年 天野
04431 福原麟太郎 著 『人生十二の知恵』 新潮社 昭和28年 天野
04432 福原麟太郎 著 『英文学六講』(創元文庫) 創元社 昭和29年 天野
04433 福原麟太郎 著 『英文学の特質』 岩波書店 昭和29年 天野
04434 福原麟太郎 著 『新しい英国』 吾妻書房 昭和29年 天野
04435 福原麟太郎 著 『この世に生きること』 文芸春秋新社 昭和29年 天野
04436 福原麟太郎 著 『生活の中にある教養(特製自家版)』 河出書房 昭和30年 天野
05585 福原麟太郎 著 『生活の中にある教養(河出新書)』 河出書房 昭和30年 三村
04437 福原麟太郎 著 『メリ・イングランド』 吾妻書房 昭和30年 天野
04438 福原麟太郎 著 『英学雑談』 研究社出版 昭和30年 天野
04439 福原麟太郎 著 『年々歳々』 朝日新聞社 昭和30年 天野
05427 福原麟太郎 著 『樽干し場』(原稿コピー)[「寄席風流」S30.8.30初出] 昭和30年 藤井
04440 福原麟太郎 著 『藝は長し(芸は長し)』 垂水書房 昭和31年 天野
05580 福原麟太郎 著 『中流人の幸福(角川新書100)』[「土居光知先生 福原麟太郎」の記載] 角川書店 昭和32年 三村
04985 福原麟太郎 著 『KENKYUSHA'S NEW SCHOOL ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY』 研究社 昭和32年 草原
04441 福原麟太郎 著 『中流人の幸福』(角川新書) 角川書店 昭和32年 天野
04442 福原麟太郎 著 『昔の町にて』 垂水書房 昭和32年 天野
04443 福原麟太郎 著 『愚者の知恵』 新潮社 昭和32年 天野
04487 福原麟太郎 著 『定年の設計』 有紀書房 昭和32年 天野
04444 福原麟太郎 著 『命なりけり』 文芸春秋新社 昭和32年 天野
04447 福原麟太郎 著 『日本の英語』(研究社選書) 研究社出版 昭和33年 天野
04445 福原麟太郎 著 『鎮魂の賦』 創元社 昭和33年 天野
04446 福原麟太郎 著 『英文学小論』 吾妻書房 昭和33年 天野
04448 福原麟太郎 著 『墓畔の哀歌』(岩波文庫) 岩波書店 昭和33年 天野
05628 福原麟太郎 著 『日本文化研究(第3巻第3回配本)日本の英学史』 新潮社 昭和34年 沖元
04449 福原麟太郎 著 『本棚の前の椅子』 文芸春秋新社 昭和34年 天野
05629 福原麟太郎 著 『英語科ハンドブックス5 英語の感覚』 研究社出版 昭和34年 沖元
04450 福原麟太郎 著 『トマス・グレイ研究抄』 研究社出版 昭和35年 天野
05630 福原麟太郎 著 『研究社レファレンスブックス文学要語辞典(A DICTIONARY OF LITERARY TERMS)』 研究社出版 昭和35年 沖元
t0550 福原麟太郎 差出 「村田露月宛書簡」 昭和35年
04451 福原麟太郎 著 『シェイクスピア講演』 大修館書店 昭和36年 天野
04452 福原麟太郎 著 『変奏曲』 三月書房 昭和36年 天野
04453 福原麟太郎 著 『この国を見よ』 大修館書店 昭和36年 天野
04454 福原麟太郎 著 『人間天國』 文芸春秋新社 昭和36年 天野
07258 福原麟太郎 編 『英語教育辞典』 研究社辞書部 昭和36年 藤井
02958 福原麟太郎 著 『諸国の旅』 三月書房 昭和37年 村上
04455 福原麟太郎 著 『諸国の旅』 三月書房 昭和37年 天野
05631 福原麟太郎 著 『明日に新しく』[「恵贈村上先生」の記載] 帳面舎 昭和37年 沖元
04488 福原麟太郎 著 『イギリスの文学(文学案内4)』 新潮社 昭和38年 天野
04456 福原麟太郎 著 『チャールズ・ラム傳』(500部限定版) 垂水書房 昭和38年 天野
04457 福原麟太郎 著 『チャールズ・ラム傳』 垂水書房 昭和38年 天野
04458 福原麟太郎 著 『英文学研究法』 南雲堂 昭和38年 天野
04459 福原麟太郎 著 『書齋の無い家』 文芸春秋新社 昭和39年 天野
04460 福原麟太郎 著 『英文学随筆』 八潮出版社 昭和39年 天野
04461 福原麟太郎 著 『野方閑居の記』 新潮社 昭和39年 天野
04462 福原麟太郎 著 『人間の教育』(講談社現代新書) 講談社 昭和40年 天野
02946 福原麟太郎 著 『文学と文明』 文芸春秋新社 昭和40年 村上
04463 福原麟太郎 著 『文学と文明』 文芸春秋新社 昭和40年 天野
05474 福原麟太郎 著 『NEW GLOBE READERS 2』 研究社出版 昭和40年 草原
05475 福原麟太郎 著 『NEW GLOBE READERS 3』 研究社出版 昭和40年 草原
02959 福原麟太郎 著 『春のてまり』 三月書房 昭和41年 村上
04464 福原麟太郎 著 『春のてまり』 三月書房 昭和41年 天野
02952 福原麟太郎 著 『日本の空の下』 雷鳥社 昭和41年 村上
04465 福原麟太郎 著 『日本の空の下』 雷鳥社 昭和41年 天野
02951 福原麟太郎 著 『読書と或る人生 新潮選書』 新潮社 昭和42年 村上
04466 福原麟太郎 著 『読書と或る人生 新潮選書』 新潮社 昭和42年 天野
04485 福原麟太郎 著 『英語歳時記(春・夏・秋・冬・雑・別巻)』 研究社出版 昭和43年〜 天野
02943 福原麟太郎 著 『福原麟太郎著作集1・2・5・6・11』 研究社出版 昭和43年〜 村上
04483 福原麟太郎 著 『福原麟太郎著作集(1〜12)』 研究社出版 昭和43年〜 天野
04467 福原麟太郎 著 『人間・世間』 暮しの手帖社 昭和44年 天野
02955 福原麟太郎 著 『文学的人生 福原麟太郎対話集』 研究社出版 昭和45年 村上
04468 福原麟太郎 著 『文学的人生 福原麟太郎対話集』 研究社出版 昭和45年 天野
02949 福原麟太郎 著 『かの年月』 吾妻書房 昭和45年 村上
04469 福原麟太郎 著 『かの年月』 吾妻書房 昭和45年 天野
04470 福原麟太郎 著 『童心詩集』(英語版・日本語版)[葛原しげる高村規子共訳] 英光社 昭和45年 天野
02944 福原麟太郎 著 『この道を行く わが人生観』 大和出版 昭和46年 村上
04471 福原麟太郎 著 『この道を行く わが人生観』 大和出版 昭和46年 天野
02961 福原麟太郎 著 『二都詩問 往復書簡』[吉川幸次郎共著] 新潮社 昭和46年 村上
05633 福原麟太郎 著 『新英米文学評伝叢書 SAMUEL JOHNSON (サミュエル・ジョンソン)』 研究社出版 昭和47年 沖元
02948 福原麟太郎 著 『幸福について』 新潮社 昭和47年 村上
04472 福原麟太郎 著 『幸福について』 新潮社 昭和47年 天野
02954 福原麟太郎 著 『天才について』 毎日新聞社 昭和47年 村上
05634 福原麟太郎 著 『人と思想シリーズ 福原麟太郎 詩心私語』 文芸春秋 昭和48年 沖元
04473 福原麟太郎 著 『夏目漱石』 荒竹出版 昭和48年 天野
04474 福原麟太郎 著 『芝居むかしばなし』 毎日新聞社 昭和49年 天野
02947 福原麟太郎 著 『芝居むかしばなし』 毎日新聞社 昭和49年 村上
02945 福原麟太郎 著 『われとともに老いよ ブラウニング随想』 新潮社 昭和51年 村上
04475 福原麟太郎 著 『われとともに老いよ−ブラウニング随想−』 新潮社 昭和51年 天野
05636 福原麟太郎 著 『教養選書33 英文学の周辺』 法政大学出版局 昭和51年 沖元
04476 福原麟太郎 著 『第三のクラブ』 求龍堂 昭和52年 天野
02957 福原麟太郎 著 『変奏曲』 ルビー選書I 三月書房 昭和54年 村上
02950 福原麟太郎 著 『福原麟太郎随筆選』 研究社出版 昭和56年 村上
04477 福原麟太郎 著 『福原麟太郎随筆選』 研究社出版 昭和56年 天野
02956 福原麟太郎 著 『現代の随想11 福原麟太郎集』[河盛好蔵編] 彌生書房 昭和56年 村上
04478 福原麟太郎 著 『現代の随想11 福原麟太郎集』[河盛好蔵編] 彌生書房 昭和56年 天野
04479 福原麟太郎 著 『チャールズ・ラム傳』 福武書店 昭和57年 天野
02942 福原麟太郎 著 『福原麟太郎随想全集(全8巻)』 福武書店 昭和57年 村上
04484 福原麟太郎 著 『福原麟太郎随想全集(全8巻)』 福武書店 昭和57年 天野
02953 福原麟太郎 著 『野方閑居の記 福原麟太郎自選随想集』 沖積舎 昭和62年 村上
02964 福原麟太郎 著 『人生十二の知恵』(講談社学術文庫) 講談社 昭和62年 村上
04481 福原麟太郎 著 『人生十二の知恵』(講談社学術文庫) 講談社 昭和62年 天野
04480 福原麟太郎 著 『チャールズ・ラム傳』(講談社文芸文庫) 講談社 平成4年 天野
05640 福原麟太郎 著 『日本の英語』 恒文社 平成9年 沖元
寄贈 天野美治、沖元浩二、草原昭喜、高橋貞尚、藤井哲、三村敏征、村上篤美の各氏↑


誠之館所蔵品(福原麟太郎・関連本など)
管理 著 編 者 書   籍   名 制作/発行 日 付 寄贈
05601 岡倉由三郎 著 『おもかげ』 長風社 大正3年 沖元
05602 岡倉由三郎 著 『おもかげ(原文及び脚注)』 長風社 大正3年 沖元
05616 岡倉由三郎 著 『ローマ字の話』[福原麟太郎編] 研究社 昭和21年 沖元
05620 研究社新英語教育講座編集部 『新英語教育講座第六巻』[福原先生寄稿あり] 研究社出版 昭和24年 沖元
05626 熊本謙二郎 著 『ナショナル第四読本研究』[共著] 研究社辞書部 昭和29年 沖元
05627 朝日新聞社 編 『朝日コラム・シリーズ きのうきょう』[福原先生寄稿あり] 朝日新聞社 昭和30年 沖元
05632 共立女子学園 編 『共立女子学園創立八十周年記念論集 笑いについて』[非売品] 共立女子大学文芸部 昭和41年 沖元
03090 福原麟太郎ほか 著 『同級生交歓1 武者小路実篤ほか』 あすなろ社 昭和42年
04990 吉田健一 著 『交遊録』 新潮社 昭和49年 草原
05635
島谷真三
北川勇
『茶山詩五百首−黄葉夕陽村舎詩抄解−』[福原先生序] 児島書店 昭和50年 沖元
03020 和田辰國 著 『ぬくもりの久しきに 福原麟太郎博士の書簡』 昭和56年 村上
05637 研究社出版 編 『英語青年(第127巻第3号)福原麟太郎氏追悼特集』 研究社出版 昭和56年 沖元
05638 共立女子大学文学芸術研究所 編 『文学芸術(第3号)福原麟太郎教授追悼号』 共立女子大学文学芸術研究所 昭和57年 沖元
05639 小川和夫 著 『小川禿木から福原麟太郎への手紙』 南雲堂 昭和61年 沖元
02960 福原雛恵 編 『福原麟太郎追悼録』 福原麟太郎追悼録刊行会 昭和62年 村上
04482 福原雛恵 編 『福原麟太郎随想録』(限定1000部、非売品) 福原雛恵 平成元年 天野
04989 草原昭喜 著 『叡智の文人学者福原麟太郎先生』(コピー) 備後春秋編集部 平成5年〜
平成14年
草原
03517 村上篤美 著 『福原麟太郎随筆便覧《アイウエオ順》』 自家版 平成13年 村上
03515 村上篤美 著 『福原麟太郎著作(随筆)リスト』 自家版 平成13年 村上
02048 村上篤美 著 『西の空にかかる虹 福原麟太郎さんを偲ぶ』 自家版 平成13年 村上
03518 村上篤美 著 『福原麟太郎随筆便覧《アイウエオ順》』 自家版 平成13年 村上
03516 村上篤美 著 『福原麟太郎著作(随筆)リスト』 自家版 平成13年 村上
03514 村上篤美 著 『福原麟太郎随想全集 月報・解説』福武書店版・全8巻 自家版 平成13年 村上
03169 ふくやま文学館 編 『福山の文学』第4集 「福原麟太郎ヨーロッパ大回遊記」 ふくやま文学館 平成15年 村上
05535 ふくやま文学館 編 『福山の文学第5集 ふくやま文学館所蔵資料紹介−井伏鱒二・福原麟太郎・小山祐士・木下夕爾・村上菊一郎小伝−』 ふくやま文学館 平成16年 三村
04490 村上篤美 著 『福原麟太郎文芸書誌(T・U)』 自家版 平成17年 村上
04412 福原麟太郎 述 『鏡山先生傳(父の憶ひ出)』 自家版 平成17年 村上
04489 研究社出版 『研究社版福原麟太郎著作集(全12巻)月報』 自家版 平成17年 村上
04806 方南読書クラブ 村上篤美 著 『福原麟太郎 ベスト・エッセイ』 方南読書クラブ 村上篤美 平成19年 村上
04822 杉原耕治 著 『忘れられた街道をたずねて−福山歴史文学紀行−』 現代教育研究所 平成19年 三村
05540 ふくやま文学館 編 『福山の文学第9集 ふくやま文学館所蔵資料紹介福原麟太郎 北イングランド・スコットランド便り(妻・父・『英語青年』編集部あて』 ふくやま文学館 平成20年 三村
06565 藤井哲著 『福原麟太郎著作目録をめざして−雑感−』(福岡大学研究部論集Vol10.No6抜刷) 福岡大学研究部 平成22年 藤井
07179 和田辰國 編 『福原麟太郎 一日一話=イギリス及びイギリス人=』 和田辰國 平成22年
07148 佐々木龍三郎 著 『ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む 童謡詩人 葛原しげるの生涯』 文芸社 平成26年
07164 藤井哲 編著 『福原麟太郎著作目録』 九州大学出版会 平成26年 藤井
z0700 「福原先生ご愛用品の一覧」
z0705 「福原先生渡欧写真」
寄贈 天野美治、沖元浩二、草原昭喜、高橋貞尚、藤井哲、三村敏征、村上篤美の各氏↑


出典1:『黎明(第8号)』、11頁、広島県高等学校退職校長会編刊(福山地区支部機関誌)、平成15年(2003年)11月
出典2:『誠之館百三十年史(上巻)』、784頁、福山誠之館同窓会編刊、昭和63年12月1日
出典3:『誠之(第15号)』、57頁、福山中学校友会編刊、明治42年12月
出典4:『備後春秋(第55号〜第74号)』、「叡智の文人学者 福原麟太郎先生」、草原昭喜、備後春秋編集部刊、平成5年7月〜平成14年7月
出典5:『忘れられた街道をたずねて−福山歴史文学紀行−』、128頁、杉原耕治著、現代教育研究所刊、2007年10月22日
出典6:『黎明(第13号)』、3頁、「福原先生と人生の知恵−志を立てること−」、和田辰國、広島県高等学校退職校長会編刊(福山地区支部機関誌)、平成20年(2008年)11月
出典7:『黎明(第13号)』、45頁、「さまざまなこと」、草原昭喜、広島県高等学校退職校長会編刊(福山地区支部機関誌)、平成20年(2008年)11月
出典8:『福山のいしぶみ』、112頁、「島谷真三」、佐野恒男著、福山市文化財協会刊、1993年5月12日
関連情報1:応援歌「陣鼓の響き」、福原麟太郎作詞
関連情報2:『ニコピン先生葛原しげる追悼録』、61頁、「大久保百人町」、福原麟太郎、葛原先生童謡碑建設委員会編刊、昭和39年3月29日
2005年1月11日更新:間違いの訂正●2005年1月27日更新:経歴追加●2005年3月2日更新:本文●2005年3月3日更新:本文●2005年4月19日更新:経歴・本文・関連本・出典●2005年9月1日更新:福原麟太郎著作本●2005年12月7日更新:福原麟太郎著作本●2006年2月28日更新:福原麟太郎著作本・福原麟太郎関連本●2006年6月28日更新:タイトル・福原麟太郎著作本・福原麟太郎関連本●2007年1月26日更新:関連情報●2007年4月20日更新:本文●2007年8月31日更新:経歴・福原麟太郎関連本●2007年9月20日更新:参考資料●2007年12月12日更新:経歴・本文・同窓会所蔵品・出典●2008年9月12日更新:同窓会所蔵品●2008年9月19日更新:同窓会所蔵品(福原麟太郎著作本)●2008年11月7日更新:同窓会所蔵品(福原麟太郎著作本)、同窓会所蔵品(福原麟太郎関連本)●2008年12月10日更新:同窓会が所蔵していない福原麟太郎著作本・出典・関連情報●2009年7月7日更新:関連情報●2009年8月26日更新:同窓会所蔵品(福原麟太郎著作本)・同窓会が所蔵していない福原麟太郎著作本●2009年8月27日更新:同窓会が所蔵していない福原麟太郎著作本関連本●2009年10月2日更新:誠之館所蔵品●2009年10月13日更新:誠之館所蔵品●2009年11月19日更新:誠之館所蔵品●2009年12月15日更新:誠之館所蔵品●2009年12月21日更新:経歴●2010年2月17日更新:誠之館所蔵品・誠之館が所蔵していない福原麟太郎著作本関連本●2010年2月22日更新:誠之館所蔵品●2010年3月2日更新:同窓会所蔵品(福原麟太郎著作本)●2010年10月12日更新:誠之館所蔵品展示品●2010年12月27日更新:誠之館所蔵品(福原麟太郎関連本)●2011年8月24日更新:本文●2012年2月16日更新:本文・出典●2014年10月30日更新:誠之館所蔵品●2014年12月13日更新:誠之館所蔵品●2015年2月23日更新:誠之館所蔵品●2015年7月1日更新:誠之館所蔵品・探しています(削除)●2015年8月10日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年8月11日更新:誠之館所蔵品展示品●