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教育者、福原麟太郎父 | |||||||||
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経 歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生:慶応3年(1867年)、広島県福山市新市町生まれ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没:昭和11年(1936年)1月、東京の寓居で病没、享年69歳、東京雑司が谷墓地に葬る | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生い立ちと学業、業績 |
生い立ちと学業 号は鏡山(きょうざん)。 業績 氏は趣味人で謡曲、能、盆栽、演劇、読書などに一見識を有し、詩文に長じ、能書家である。 雄弁家でその講話は聴衆に多大の感銘を与え、式日の講堂訓話は天下一品、居並ぶ児童父兄は感激の極めに嗚咽の声を洩らしたという。 著書に『尋常小学校珠算新書』、『鏡山堂小史』などがある。 大正元年(1912年)10月、福山市松永町に「丸山翁碑」を撰書、大正13年(1924年)6月、福山市松永町下之町に「加藤翁彰徳碑」を揮毫。 その他、松永には福原甚之助揮毫の碑は数百に及ぶ。 頌徳碑 昭和13年、子弟が相謀りて神村八幡神社の境内に頌徳碑を建ててその徳を讃えた。 撰文並に書は教え子である貴族院議員・丸山鶴吉の筆である。 |
誠之館所蔵品 | ||||
管理 | 氏 名 | 名 称 | 制作/発行 | 日 付 |
06839 | 福原麟太郎 述 | 『「鏡山先生傅」父・福原甚之助の憶い出』(コピー) | 福原麟太郎 | 昭和12年 |
06657 | 丸山鶴吉 撰書 | 拓本「福原甚之助先生頌徳碑」 | − | 昭和13年 |
04412 | 福原麟太郎 述 村上篤美 復刻 |
『「鏡山先生傅」父・福原甚之助の憶い出』 | 私家版 | 平成17年 |
出典1:『備後先覚者名鑑−郷土を創った人々−』、18頁、村田露月文、式見静夫写真・編、備後文化出版社刊、昭和35年6月 |
2015年8月8日追加● |