福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
藤井松林
ふじい・しょうりん
福山藩絵師
藤井松林 (出典1)


経 歴
生:文政7年(1824年)11月21日、福山・長者町生まれ
没:明治27年(1894年)1月18日、享年71歳、吉津町法眞寺に葬る
天保8年(1837年)2月5日 14歳 藩から御小僧に召し出される
天保8年(1837年)10月14日 14歳 御絵図師加勢となる
天保8年(1837年)11月 14歳 高田杏塢と吉田東里に師事
天保13年(1842年)3月31日 19歳 御奥坊主仮役
天保13年(1842年)12月19日 20歳 御奥坊主本役
弘化4年(1847年)7月3日 24歳 御絵図師心得
弘化4年(1847年)9月19日
            〜12月20日
24歳 京都に出向く
嘉永2年(1849年)11月29日 26歳 藩の海防測量絵図面を制作
嘉永3年(1850年)7月3日 27歳 御絵図師の場加勤
嘉永4年(1851年)4月5日
            〜7月26日
28歳 京都で絵修業
嘉永5年(1852年)2月1日 29歳 田中丈助の娘清と結婚
安政2年(1855年)10月2日 33歳 絵修業のため京都へ
安政3年(1856年)9月14日 34歳 京都で円山派の中島来章に師事
安政4年(1857年)ごろ 35歳ごろ 御通掛御目見
安政6年(1859年)2月29日 36歳 奥御坊主頭見習、御子納戸坊主、表御坊主頭、御茶道兼役見習
安政6年(1859年)8月11日 36歳 御勘定所詰仮役、御絵図師兼役
安政6年(1859年)12月19日 37歳 御勘定所詰本役、御絵図師兼役
安政6年(1859年)12月24日 37歳 母が没す
文久元年(1861年)11月9日 38歳 日本絵図粉色御用
文久2年(1862年)7月19日
            〜8月21日
39歳 御用人物書当分加勢
文久2年(1862年)9月21日 39歳 父が没す
文久3年(1863年)10月25日
            〜11月5日
40歳 御用人物書当分加勢
元治元年(1864年)2月27日 41歳 表御坊主頭見習兼役仮役
元治元年(1864年)11月3日 41歳 長州の役(一次)に従軍し広島表へ
慶応元年(1865年)1月15日 42歳 表御坊主頭加勢
慶応元年(1865年)11月晦日 43歳 本御目見、御絵師見習
慶応元年(1865年)12月 43歳 長州の役(二次)に従軍し三次表へ
慶応2年(1865年)8月28日 43歳 近隣の御絵図作製のため天守閣へ登る
慶応2年(1865年)12月9日 44歳 奥勤
明治元年(1868年)11月27日 45歳 奥入
明治2年(1869年)4月 46歳 御画像御用、阿部正教・阿部正方画像を画く
明治2年(1869年)5月29日 46歳 御側絵師
明治2年(1869年)9月 46歳 箱館出兵、戦場の絵図面の制作
明治2年(1869年) 46歳 下士
明治3年(1870年)2月 47歳 藩校誠之館画学小教授心得
明治10年(1877年) 54歳 上京、第1回内国勧業博覧会に「花鳥図」を出品
明治10年(1877年)8月 54歳 「藤雀鼬図」を宮中に献画
明治14年(1881年) 58歳 第2回内国勧業博覧会に彩色画を出品
明治18年(1885年)10月5日 62歳 妻の清が没する
明治22年(1889年)11月 66歳 上京、宮内省に「游鯉図」「百福図」の2点を献上
明治22年(1889年) 66歳 皇后御前ににおいて扇面揮毫を行ない、賞金を賜う
明治23年(1890年) 67歳 第3回内国勧業博覧会に「藤花小禽図」を出品三等妙技賞を受賞
明治24年(1891年)〜
 明治26年(1893年)
68〜
70歳
尾道の浄土寺の方丈や庫裏の障壁画、襖絵などを制作
明治26年(1893年)元旦 70歳 「山猿図」を描く
明治26年(1893年)2月 70歳 発病


生い立ちと学業、業績
幼名は子介・子助・七助、名は好文、字は士郁。号は、若い頃は好文、その後、清遠、百斎、もっとも多く松林とした。

松林は、備後福山藩士・藤井小右衛門(敬助・好道)の長男として、文政7年(1824年)、福山城下の長者町の武家屋敷で生れる。父の小右衛門は軽輩の藩士で、同藩の岡本善兵衛の弟、岡本家より藤井家に養子として入った。母は隣藩岡山池田藩の領分備中八重村(現:岡山県浅口市金光町)の出身。

天保8年(1837年)14歳のとき、藩から御小僧に召し出され、御絵図師加勢になり絵画での腕を発揮する初めとなった。この頃から、四条派の藩の重役・
高田杏塢(たかた・きょうう)と吉田東里(よしだ・とうり)に絵の手ほどきを受け、さらに本格的な絵画修業を始めるのは弘化4年(1847年)24歳からで、京都に出向き画壇探索と師匠の選定をこころみ、嘉永2年(1849年)には藩の海防測量絵図面を制作するとともに、京都への絵修行は続いた。
嘉永5年(1852年)29歳で田中丈助の娘清と結婚し、長男八百太郎、長女阿松、次男豊太郎をもうけた。安政3年(1856年)にも絵修行のため京都に行き、円山派の
中島来章の門をたたき、その同門に森寛斎、幸野楳嶺、川端玉章など後年名をなした画友たちがいた。また和歌を大国隆正松本良遠に学び、漢籍を三好一学に学んだ。

その後、奥向きの職務を経験し、安政6年(1859年)36歳で御勘定所詰本役、御絵図師兼役となるが、この年母が没し、3年後の文久2年には父・好道も没した。元治元年(1864年)と翌慶応元年(1865年)との二度にわたる長州の役に従軍し、芸州広島表、備後国三次表で、その付近を活写し、地形絵図を作成して、藩の絵図師の役割を果たしている。明治2年(1869年)46歳の時、箱館出兵のため鷹翼隊(よたい)に編入され、新政府軍として戦場の絵図面の制作に活躍している。翌明治3年(1870年)には藩校誠之館において画学小教授心得となる。

明治以後、半切50銭、尺八絹本5円の画料では生計を立てることすらままならぬ暮らしが続いたようだが、画道に精進し、明治10年(1877年)54歳のとき、第1回内国勧業博覧会に「花鳥図」を出品し褒状を得ており、8月には「藤雀鼬図」を宮中に献画して、懐紙器、莨器、水注の3点を賜わりその感慨を「久方の 天より三つの 玉ものは 身にあまりたる 光りなりけり」と詠った。さらに、明治14年(1881年)58歳のとき、第2回内国勧業博覧会に彩色画を、明治23年(1890年)67歳のとき、第3回内国勧業博覧会に「藤花小禽図」を出品し、「全局温雅、運筆墨秀潤、妙技嘉賞すべし」と評されて三等妙技賞を受賞し、中央画壇へも進出をはかった。

明治22年(1889年)には再度上京し宮内庁に「游鯉図」「百福図」の2点を献上しているが、写実派の妙技を遺憾なく発揮し、松林を代表する作品となっている。「游鯉図」は縦7尺5寸、横5尺の画面に5尾の鯉が遊泳する図で、画祖・円山応挙を凌駕する筆致であり、「百福図」は百人百様のお多福が面貌、姿態、遊戯、紋様を異にして表現され、「北斎漫画」に匹敵するその画技の豊かさを充分にみてとれる。このように、松林の描いた画題は、花鳥・山水・人物など全般にわたり、和歌も嗜む文人画家であった。

福山地方に多く伝存する松林の作品のなかでも、彼の集大成としては、最晩年の明治24年(1891年)68歳から足かけ3年かけて完成した尾道の浄土寺の方丈や庫裏の障壁画、襖絵などがあり、別名「松林寺」と呼ばれるのも無理なく、松林の花鳥山水画で埋め尽くされている。明治26年(1893年)70歳の新春を迎え、元旦の試筆に「山猿図」を描き、その画賛に
「世の中の 人ちふひとの なす事を なさずばやまじ 山猿の身も おのれ若かりしをりかく思いしに ただ老の数のみ重ねきつれば 猶おもひつらねてよめる 七にひとつ 七し得で今は 七七十に 七れども 七どか 七さでやむべき」
とよみ、中央での活躍を夢見て果たし得なかった彼の山猿にたとえた遺念であったろう。

そして同明治26年(1893年)2月に発病し、翌明治27年(1894年)1月には71歳で没し、この山猿図の画賛が辞世の句となった。福山市吉津町法眞寺に葬り、法名は「弘コ院功顕松林居士」、墓碑付近に2本の松が植えられた。

松林の長女の阿松は福山市駅家の中山氏に嫁ぎ、
中山松濤と号して絵筆をふるった。松林の画業を継いだのは、別掲の画系図にみるように羽田桂舟藤井松山若林松谿、水野文華などの弟子たちで、今にその画統は受け継がれている。   鐘尾光世(歴史資料室学芸員)




誠之館所蔵品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
07404 藤井松林 画 日本画「如意宝珠圖」 慶応3年
05365 藤井松林ほか 画 日本画「備後画人寄書」 明治10年ごろ
07020 藤井松林ほか 画 日本画「福山藩画人花寄書」
00353 藤井松林 画 「寺地強平肖像画」 明治17年
04141 藤井松林 画 色紙「竹二群雀図」(複製) 明治25年
04142 藤井松林 画 色紙「三府名勝図」(複製) 明治26年
04278 藤井松林 画 色紙「碧潭游鯉図」(複製) 明治26年
05588 松林先生追薦会 編 『松林画集』 島田武夫 大正2年
03147 福山市立福山城博物館 編 『開館25周年記念特別展 藤井松林』 福山城博物館 平成3年
07271 福山城博物館 編 『福山阿部家展−受け継がれた武家資料−』 福山城博物館 平成27年


出典1:『松林画集』、松林先生追薦会編、島田武夫刊、大正2年11月25日
関連情報1:『図説 福山・府中の歴史』、237頁、郷土出版社編刊、2001年3月4日
関連情報2:『備後先覚者名鑑(郷土を創った人々)』、18頁、式見静夫編、備後文化出版社刊、1960年6月
関連情報3:『開館25周年記念特別展 藤井松林』、福山市立福山城博物館編刊、平成3年10月5日
関連情報4:『平成5年度春季特別展 福山の日本画展』、75頁ほか、福山市立福山城博物館編刊、平成5年4月3日
関連情報5:『今昔物語 福山の歴史(上巻)』、246頁、村上正名著、歴史図書社刊、昭和53年11月20日
関連情報6:『福山藩の教育と沿革史 藩校から小学校まで』、159頁、清水久人著、鷹の羽会本部阿部正弘公顕彰会刊、1999年8月20日
関連情報7:『福山の今昔』、175頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
2005年3月9日更新:関連資料追加●2005年3月31日更新:本文・所蔵品●2006年1月13日更新:所蔵品●2006年3月14日更新:所蔵品●2007年11月26日更新:経歴●2008年9月12日更新:本文・関連情報●2008年10月29日更新:本文●2008年11月18日更新:経歴・本文・誠之館所蔵品、関連情報●2009年6月5日更新:本文●2009年6月9日更新誠之館所蔵品●2010年3月15日更新:写真・誠之館所蔵品・出典●2010年4月1日更新:経歴・関連情報●2011年5月16日更新:本文●2015年2月28日更新:誠之館所蔵品●2015年3月12日更新:レイアウト・誠之館所蔵品●2015年12月8日更新:レイアウト・誠之館所蔵品●2016年10月11日更新:誠之館所蔵品●