福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
浅利敬六
旧名
高垣敬六
あさり・けいろく たかがき・けいろく
福山誠之館同窓会事務局長、誠之館教師(英語)
浅利敬六


経 歴
生:明治36年(1903年)2月11日、広島県沼隈郡今津町(現福山市今津町)生まれ
没:昭和61年(1986年)12月末、享年84歳
大正11年(1922年)3月3日 19歳 広島県立福山中学校(誠之館)卒業
昭和2年(1927年)3月7日 24歳 広島高等師範学校文科第二部卒業
昭和2年(1927年)3月31日 24歳 宮城県気仙沼中学校教諭
昭和4年(1929年)6月5日 26歳 長野県諏訪中学校教諭
昭和10年(1935年)5月10日 32歳 岡山県総社高等女学校教諭
昭和15年(1940年)3月31日〜
 昭和36年(1961年)3月31日
37〜
58歳
広島県立福山誠之館中学校教諭
昭和22年(1947年)7月12日〜
 昭和43年(1968年)5月29日
44〜
65歳
誠之館同窓会事務局長
昭和45年(1970年)4月〜
 昭和47年(1972年)10月
67〜
69歳
通信教育非常勤講師


私の中学時代の思い出    浅利敬六
大正6年4月、広島県立福山中学校へ入学する。
うれし。
正確には云えぬが入学試験は2、3倍の競争率ではあったろう。
今日の高校への入試はこれに比べれば物の数ではない。
受験地獄とは誰がつけたものかは知らぬが、子供を甘やかす以外の何ものでもない。
優勝劣敗は止むを得ない現実ではあるまいか。
(昭和初期の倍率の記録が佐久間信栄著、誠之館沿革史の中にあり−−−現物は学校図書館の執務室の書棚の中にある−−−。)

さて、毎朝、前晩にブラッシュをかけて黒光りのする軍靴を履いて、カバンを肩にかけ家を出て松永駅に向う。
パスを示して改札口を出る。
松永福山間の学生定期は一ヵ年が20円75銭、男生徒−福中と盈進商業−は通学列車の前部の方に乗り、県女・増川・門田の女生徒はこの列車の最後のはこに乗ることに定められていた(男女7才にして席を同じうせず)。
この規定は厳重に履行されたが、稀にはようやく列車に間にあったような風をして列車の最後部に跳び乗り心ひそかに胸をときめかしていた男子もいたろう。
西からは、三原・尾道・松永駅から乗降していたが、上級生と下級生との間は格別親密で、上級生から勉強の仕方を教えてもらったり、辞書の引き方を手にとって教えてもらった記憶もある。
又試験に出そうな個所を教えて貰った思い出もある。
たまたま汽車が福山駅へ遅着することがあると、カバンをわきの下へかかえて駅から(霞町の)学校まで一散に走ったもの、7分位かかったような気がする。
駅で汽車が充分停車しないうちに、列車の方角に対して直角に跳び下りるとしりもちをつくことがある。
後方に向いて跳び下りると倒れることがある。
それを駅長に見付けられると、パスを取り上げられる。
当分あずかりますと云われてシュンとなる。
やがて、乗降に慣れてくると下手な車掌位はつとまりそうになる。

冬の寒い日、休憩時間には博物教室の南側の板壁にもたれて日なたぬくもりをしたもの、1年生などがそうしていると、5年生がテニス用のゴムボールを自分達に投げつけ、自分達が逃げまどうのを見ては得意になっていた。

カンニングというものは学校の試験にはつきものであろうか?
わが福中ではカンニングの現場を見付けられたものと、証拠のある場合は、その瞬間に退校になる規定があった。
これは古く明治32年頃には既に実施されていた由をこの頃の先輩から聞いたことがある。
学年屈指の秀才が英語の単語が一つわからないとて辞書を引くところを見付けられ、退校になった例を自分は知っている。
当時は多くの学校では停学、又はその科目のその答案を零点にしたものである。
福中のように父兄の召喚ということもせず、即刻退学にしてしまうような例は他校にはなかった。

自分らの頃は学校の正門に門衛が居た。
白いあごひげを生やした威厳のある老人で、朝、校門を入るとこの人に向って不動の姿勢をとり挙手の礼をしたもの、これ即ち学校へ対しての朝の挨拶というわけで、この時ゲートルを穿いていなかったり解けかけていた者は、門外で穿きなおさせられた。
この人は佐分利流の槍術の師範であった由。(以下略)
   (出典1)


誠之館所蔵品
管理 氏 名 名  称 制作/発行 日 付
02060 浅利敬六 著
福山誠之館同窓会 編
「私の中学時代の思い出」
『懐古−誠之館時代の思い出−』、37頁
福山誠之館同窓会 昭和58年
02060 浅利敬六 著
福山誠之館同窓会 編
「福山誠之館同窓会の思い出」
『懐古−誠之館時代の思い出−』、215頁
福山誠之館同窓会 昭和58年


出典1:『懐古−誠之館時代の思い出−』、37頁、「私の中学時代の思い出」、浅利敬六、福山誠之館同窓会編刊、昭和58年5月15日
出典2:『遥かなる五十年−写真でつづる一九会のあゆみ−』、71頁、「浅利先生を偲んで」、増田丈夫、福山誠之館一九会編刊、平成6年10月16日
2004年11月1日更新●2005年2月7日更新:写真・経歴●2005年4月11日更新:本文追加・出典●2006年5月15日更新:タイトル・連絡先削除●2006年8月10日更新:経歴・本文●2007年3月1日更新:レイアウト●2007年7月26日更新:経歴●2007年8月10日更新:参考資料●2007年10月4日更新:経歴・関連情報●2008年1月23日更新:経歴・関連情報削除●2008年8月25日更新:関連情報●2011年8月17日更新:誠之館所蔵品・関連情報(削除)●