福山阿部藩
藩主
誠之館
先賢
福山藩
関係者
誠之館
歴代校長
誠之館
教師
誠之館
出身者
誠之館と
交流した人々
誠之館所蔵品
関係者
誠之館同窓会
歴代役員
阿部正倫
あべ・まさとも
備後福山藩藩主(第4代)、藩校弘道館創設者


経 歴
生:延享2年(1745年)2月9日、江戸生まれ ≪『諸家譜』には延享3年≫
没:文化2年(1805年)8月21日没、享年61歳、江戸西福寺に葬る、のち谷中墓所に改葬
明和4年(1767年) 22歳 備中守
明和6年(1769年)8月29日〜
 享和3年(1803年)10月5日
24〜
58歳
藩主(在任期間34年2ヶ月)
安永3年(1774年)〜
 安永6年(1777年)
29〜
32歳
奏者番
安永6年(1777年)〜
 安永8年(1779年)
32〜
34歳
寺社奉行見習に兼任
安永8年(1779年)〜
 天明7年(1787年)
34〜
42歳
寺社奉行を兼任
天明6年(1786年) 41歳 福山に弘道館を建設
天明7年(1787年) 42歳 伊勢守、従四位下
天明7年(1787年)3月7日〜
 天明8年(1788年)2月29日
42〜
43歳
老中


生い立ちと学業、業績
幼名は運之助、称は主計、字は子範、号は緒水、宇和卿、閑旭楼。はじめ備中守、従四位下。

阿部正倫は延享2年(1745年)2月、前藩主3代
阿部正右の3男として江戸で生れた。
母は中島氏。
明和6年(1769年)、25歳で遺領を襲封し、安永3年(1774年)には奏者番となり寺社奉行見習兼任、寺社奉行兼任そして天明7年(1787年)には老中にまで昇進した。
だが、わずか11ヶ月余の在任で病気を理由に退任し、その後は藩政改革に本格的に取り組んでいくこととなった。
正倫は、2代
阿部正福より5ヶ月長い在任となり、阿部氏中もっとも長い在任期間をもつ藩主となった。

正倫の治世はその前半は江戸にあって幕閣の要職を歴任し、後半は主として領国支配体制の再編成を指揮したといえる。
正倫の就任後の藩政の課題は前代以来の財政難の克服にあり、叔父にあたる安藤主馬を国元に派遣してその任にあたらせた。
また、福山地方は連年の大凶作で、大旱魃は「古老モ覚エザル百年以来ノ旱」といわれる程で、約6万石にも及んだ。
このため襲封翌年の明和7年(1770年)には百姓一揆が起こった。
そして天明期に入ると正倫が幕閣の重職へと昇進するが、そのことによって財政的な圧迫は相当なものであった。
藩府は遠藤弁蔵に財政再建を図らせたが、またもや天明6年(1786年)から翌7年にかけて「10万石残らず騒動」の天明一揆となり、「百姓が国を自由にいたし候様成ものに相当り、一向政道立申さず」と支配者としての危機意識もあってか、藩主正倫は老中を辞任し、その後は本格的な藩政改革に取り組んでいる。

その改革の基本的方針は幕藩制的身分制秩序の再編強化と藩財政の再建とであった。
また、藩校弘道館を創設して、儒教精神による家中武士の綱紀の粛正を図った。
弘道館は、藩士
山室如斎(箕陽)が文学教授に抜擢され学術世話取となり、儒者伊藤修佐伊藤貞蔵(竹坡、弘亨)が加わり、新たに藩士より村上半蔵(蘭陵)・清次郎父子、朱子学者衣川閑斎そして藩医鈴木宜山(圭輔)を儒者に任命し、藩教育を促進させていった。
また、民間からは神辺の朱子学者
菅茶山(晋帥)も登用された。

一方、正倫は書画の技量も相当なもので、寛政12年(1800年)秋、中国の画家王元章を手本に
孔子像を描き、弘道館に下賜している。
弘道館ではこれを毎年発会式に拝覧することが通例となり、藩校誠之館でも同様であった。

こうした正倫の藩政改革への努力はかならずしも成功したとはいえないが、百姓一揆はその後30年余発生しなかったのは大いなる成果といえるであろう。
そして、正倫は享和3年(1803年)、59歳をもって致仕し、文化2年(1805年)8月21日に61歳で没している。煕コ院勇誉哲心義山と諡し、江戸西福寺に葬る。
現在は東京都台東区谷中に墓所がある。

室は郡山藩主柳沢美農守伊信女、継室は弘前藩主津軽越中守信寧女。

第5代藩主は、
阿部正精がついだ。   (鐘尾光世、歴史資料室学芸員)


誠之館所蔵品展示品
管理 氏  名 名  称 制作/発行 日 付
00002 阿部正倫 画 「孔子画像」 寛政12年(1800年)
00005 阿部正倫 書 和歌「山家花」
05303 阿部正倫 画 日本画「亀図」
t0890 阿部正倫 画 日本画「樹下騎乗図」
t1290 阿部正倫 書 和歌「春のころ」
04979 藤井登美子 著 『備後天明の一揆物語 天明の篝火』 アスコン 平成17年(2005年)
07271 福山城博物館 編 『福山阿部家展−受け継がれた武家資料−』 福山城博物館 平成27年


出典1:『阿部氏十代展−福山の藩政と教育−』、77頁、福山市立福山城博物館編刊、平成7年4月8日
出典2:『福山阿部家展−受け継がれた武家資料−』、福山城博物館編刊、平成27年9月19日
出典3:『福山の今昔』、106頁、濱本鶴賓著、立石岩三郎刊、大正6年4月26日
2005年3月3日更新:肩書●2005年7月6日更新:関連資料●2006年2月22日更新:経歴●2006年4月6日更新:タイトル●2007年10月5日更新:経歴・関連情報・関連資料→参考資料●2008年1月23日更新:本文・関連情報削除●2008年8月25日更新:本文・誠之館所蔵品●2008年12月25日更新:経歴・誠之館所蔵品●2010年3月10日更新:本文・関連資料●2012年6月15日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年2月6日更新:誠之館所蔵品展示品●2015年12月7日更新:レイアウト・誠之館所蔵品展示品・出典●