誠之館と交流のあった人々 | ||
あ |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
いしい・ゆうざぶろう | 石井友三郎 | 松永町長、蓮華寺住職 |
いしかわ・りゅうじょう | 石川柳城 | 南画家 |
いとう・じんさい | 伊藤仁斎 | 儒家、京都堀川学派 |
えぎ・とし | 江木年 | 江木鰐水夫人 |
おか・のぼる | 岡暹 | (詳細不明) |
おかもと・かてい | 岡本花亭 | 幕府儒者 |
か |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
かんばら・もりくに | 神原護国 | 僧侶 |
きのした・ゆうじ | 木下夕爾 | 詩人 |
こが・とうあん | 古賀侗庵 | 幕臣、儒者 |
こでん | 小傳 | 詳細不明、江木鰐水との交流 |
こまつ・こうすけ | 小松耕輔 | 作曲家、「誠之館中学校校歌」作曲 |
さ |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
さかた・けいけん | 坂田警軒 | 漢学者、教育者 |
さかたに・ろうろ | 阪谷朗廬 | 幕末・明治期の儒学者 |
さとう・いっさい | 佐藤一斎 | 儒家 |
さなだ・つるまつ | 眞田鶴松 | 軍人 |
しのざき・しょうちく | 篠崎小竹 | 江戸末期の朱子学者 |
しみず・せきじょう | 清水赤城 | 幕末の兵学者 |
すずか・ひでまろ | 鈴鹿秀満 | 歌人 |
た |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
たけい・せつあん | 武井節庵 | 諏訪高島藩士 |
たけだ・ごいち | 武田五一 | 建築家、京都大学教授、工学博士 |
たけもと・とうとうあん | 武元登々庵 | 幕末期の古碑法帖・古詩の研究者 |
たけどみ・さだやす | 武富定保 | 肥前佐賀藩弘道館教授 |
たなべ・じゅんきち | 田辺淳吉 | 建築家 |
つだ・しゅうきち (つだ・いさむ) |
津田終吉 (津田賁) |
古賀侗庵門下生、医師、江木鰐水と交流あり |
つるだ・あきら | 鶴田皓 | 明治の元老院議員、江木鰐水の弟子 |
とくがわ・なりあき | 徳川斉昭 | 水戸藩主(第9代) |
とつか・こうざぶろう | 戸塚孝三郎 | 教師、画家 |
な |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
は |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
はねだ・けいしゅう | 羽田桂舟 | 日本画家 |
ひらた・ぎょくうん | 平田玉蘊 | 日本画家 |
ひらの・ゆうたろう | 平野猷太郎 | 備中高梁の人 |
ふくはら・じんのすけ | 福原甚之助 | 教育者、福原麟太郎父 |
ふじい・こうちょく | 藤井好直 | 漢方医、「片山記」執筆者 |
ぺりー | ペリー | アメリカの海軍軍人 |
ま |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
まつうら・ほうのしん | 松浦鳳之進 | 備中足守の人 |
みしま・ちゅうしゅう | 三島中洲 | 明治の教育家、備中の人 |
みやぎ・みちお | 宮城道雄 | 琴演奏家、随筆家 |
みやはら・りゅう | 宮原龍 | 儒家、頼山陽門下 |
や |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
ら |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |
らい・あつし | 頼復(頼支峰) | 頼山陽の第二子、七頼の第六、京都頼家本家 |
らい・きょうへい | 頼杏坪 | 広島藩儒、頼山陽の叔父、七頼の第三 |
らい・さんよう | 頼山陽 | 七頼の第四、『日本外史』の著者、一時菅茶山の廉塾で都講、京都での山陽塾ぶは門田朴斎、関藤藤陰、江木鰐水などが学んだ |
らい・しゅんすい | 頼春水 | 広島藩儒、頼山陽の父 |
らい・しゅんぷう | 頼春風 | 頼山陽の叔父、七頼の第二、兄春水が広島藩へ出仕後、竹原頼本家を守った、菅茶山との親交があった |
らい・みきさぶろう | 頼三樹三郎 | 頼山陽の第三子、七頼の第七、「頼山陽肖像画」に賛を誌している、京都頼家分家 |
りゅうち・みつおう | 龍池密雄 | 大覚寺門跡、高野山座主、明王院住職 |
わ |
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なまえ | 名 前 | 概 要 |